何事も、好きな奴には敵わない。
好きな事はストレスさえも感じることなく、全ての神経を集中し、自分を投入する。
それはどんな人でも同じでしょう。
ならば、そういう人材に然るべき仕事を任せるのが、一番効率が良く、高い成果を得られる。
「適材適所」
使い古された言葉だが、まさしくそれです。組織の立場から考えれば、その仕事を熱く語る人間にやらせてみるという意識が大切ですね。
だめですよ、人ごとのようにこの言葉を読んでいては。我々個人レベルでも考えさせられる言葉です。
我々個人レベルが考えるべき事は、一体自分は何に適した材なのか?どこが自分に適した場所なのか?という事でしょう。
一体、自分は何に熱くなれるのか?熱く赤くなった鉄をサウナのような環境で、迸る汗を掻きながら、そんなものを忘れ去るほど一心不乱に叩けるものって何なんだろう?
それを自分で知り、そこへ自らを導く。
どんな言葉も、捉える基準を変えれば、自らに課せられたキーワードが捉えられるものです。
2011/07/30 8:47 午後
なので、私は翻訳会社になることをやめ、個人翻訳者に戻りました。
数人規模の会社にできれば自分は訳すことに集中できるのではないかと夢想し、営業兼コーディネーターの女性にきてもらっていろいろとやってみた時期もあるのですが、夢想は夢想にすぎず現実は違う方に動いてゆくと実感しました。自分が熱くなれるものをなるべく多くできる形態が、私の場合はフリーランスだったというわけです。
2011/07/30 9:41 午後
本物を得るには切り捨てる事も大切…と何かの本にも書いてありましたね(笑)
お恥ずかしながら、私はこの歳でまだまだ定まっていないです。自らの経験は慣れを生み、同じ仕事なら余り苦痛なくこなせてしまう。それが本人に「本当にやりたいこと」と錯覚させてしまうところもあり、まだまだ迷いが多いです。
自分のやりたい事を自分の仕事にするにはサラリーマンはとても難しい環境にありますが、私自身はチャンスがある毎に自分から名乗り出て、最終的に現在の仕事にたどり着いているので、少なくとも普通のサラリーマンよりは「自分のしたい事」に近い仕事をやっているという事になり、その点では恵まれていると思います。
実力は別として、私は翻訳が好きです。それはかなり前から自覚していました。なので、翻訳に関する仕事をしたい。そこは変わらないので、この先もそこを軸として仕事を探していくと思います。
コメントありがとうございました