翻訳横丁の裏路地

We can do anything we want to do if we stick to it long enough.

「できたのか?」「終わらせたのか?」

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最近、あるコーヒーの宣伝文句で「それは『できたのか?』『終わらせたのか?』」という台詞を耳にした。そのCMの登場人物が、概ね誰もいないと思われる真っ暗になったオフィスで、独り黙々と仕事をして、やっと終わらせたところに、天の声?が発した言葉がそれだった。

このセリフを聞いて、同時にふたつの事を頭の中で考えました。それは、勤め人としてどう考えるのよ?という事、そして翻訳者として捉えたら、どう考えるのよ?という事。

最初は当然、勤め人として脳内は反応したのですが、このCMを見た瞬間に「気持ち悪い」と思いました。時と場合によっては、深夜にまで掛かって仕事を終わらせる事も確かに過去はあったけれども、それがあたかも「正しい」が如く雰囲気を醸し出したCMに、凄く気持ちの悪いものを感じたのだと思います。全然、当たり前の事ではないですからね、こういう状態。個人の仕事の管理がマズイのか、上司の管理監督能力が低いのか、そういう性格の話にしか感じとれない。

まぁ、どんな仕事の内容かは分からないけれども、付け焼刃的な仕事発生によるものならば、完成度よりもスピードが概ね求められる訳でしょうから、「終わらせる」事の方が断然大切なのだと思います。このブログへ引っ越す前のブログで一度記事にした事がありますが、組織の中で仕事を効率的に片付け回していくには、仕事の完成度を「75%」くらいを良しとして終わらせるのが良いと考えています。昔、完璧性の部下にも頻繁に言っていた言葉です。仕事は結局、ひとりで完結する事がなく、取り巻く上司や同僚、前後工程の人間など関わる人間が非常に多いので、停滞させるよりはある程度の形にして回した方が問題点が早期に顕在化され、対応も早くとられ、結果的にスムースに仕事が回転していくのです。要求される質も、その過程で是正されて完成されるのですから、独り善がりな完璧品より、素早く提供される叩き台の方が良いのです。CMの中身は何だかわからないですが、漠然とCMを見ていて、「何を言いたいんだ?『終わらせた』程度で多分概ね問題ない筈なんだけどな」と思ったのです。

さて…

これを翻訳者の仕事と捉えてみると、全く逆の考え方になりますよね。そもそも翻訳者の仕事は一人完結。職人の仕事と同じです。当然、「終わらせた」という意識で翻訳されるなどと言う事はあってはならない筈です。自分の仕事に納得ができた時点で「終わった」「できた」という事になるのでしょう。

自分の仕事、完成品の先に何があるのか、誰がいるのか、どう使われるのか。そこを考えると、なすべき事とその要求レベルが分かってくるはずです。

作成者: Terry Saito

二足の草鞋を履く実務翻訳者です。某社で翻訳コーディネーター、社内翻訳者をやっていました。 詳細は、以下のURLよりどうぞ。 https://terrysaito.com/about/

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