翻訳横丁の裏路地

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東北博の誤訳問題を斬ってみる

「東北博」ホームページの誤訳が報道(参照:朝日新聞サイト)されて以来、 Twitter 上の翻訳関係者の間で、この話題で賑わっています。報道によれば、「東北博」ホームページの外国語ホームページに多くの誤訳が見つかり、13日に修復の為にサイトが閉鎖されたとの事。(東北博覧会の英語サイト)

(具体的な誤訳例(出典):朝日新聞デジタル)

今回の誤訳問題の本当の原因背景は分かりません。少なくとも、問題の東北博の他言語ホームページ上に「This page is translated using machine translation. Please note that the content may not be 100% accurate.」と表記がある事から、機械翻訳を利用した翻訳物であるという事は間違いないです。また、以下に引用した記事を読むと、その機械翻訳品がそのまま最終翻訳品として使用され、当事者達のチェック・修正もされないまま公開された事が問題のようです。

翻訳業務は、HP運営を担う業者が東京都内の専門業者に再委託した。日本語版を作成すると、自動翻訳される仕組みになっていて、東北特有の固有名詞が辞書機能に無かったのが原因だという。外国語版のHPには「機械翻訳のため、100%正確でない」と断り書きを添えていたが、観光庁も業者も翻訳結果を確認していなかった。観光庁観光地域振興課は「自動翻訳の誤りを見つけるボランティアを募り、総力戦で翻訳ミスを修正し、4月下旬には外国語版を再開したい」と話している。(河北新報 4月14日(土)6時10分配信より引用)

この記事から分かる事は以下のような事です。

  • 「観光庁−HP運営業者−翻訳会社」という図式で、仕事がなされている。
  • 日本語版を自動翻訳している。つまり、機械翻訳の結果がそのままHPに表示される。
  • 地方特有な固有名詞が辞書になく、適切な訳が出力されない。
  • 依頼元の観光庁もHP運営業者、翻訳業者のどれも、翻訳結果を確認していない。

また、他の記事等を読み進めると、以下のような事も書かれています。

  • 翻訳会社が、実行委員会に固有名詞の一覧表の提示を申し入れたが、受け入れて貰えなかった。(ソース)

今回の問題は、秋田県など外部からの指摘で発覚したようですが、この事は、ホームページの最終使用者(読者)による指摘であると考えるならば、市場に受け入れられない翻訳仕様であったという事が言えます。では、この最終仕様を決める責任を持つのは誰か?というと、発注者です。今回の事態の責任という点だけを見ると、発注者の責任だと言えるのではないかと考えています。

ただ、考えなくてはならないのは、概ね発注者は「翻訳」という商品の性質も性格も理解しない場合が多いのです。「翻訳」というものを一般の人々が正しく認識できていない事が大きく関係している訳ですが、とかく言葉の「置換」であるという誤認識をされているケースが多い。そういう認識の元で最終仕様を考えた場合、どうなるでしょう?「固有名詞の一覧表の提示を受け入れて貰えなかった」という点から考えても、発注者はそこに重要性を感じておらず、一体、一覧表がないと最終翻訳物へどのような影響を及ぼすのかを認識していないのが分かります。

我々、翻訳業界側の人間として考えたとき、何よりも問題なのは翻訳会社ではないかと思うのです。「翻訳」を職業とし「翻訳のプロ」「言葉のプロ」として仕事をしている翻訳会社側が、何故、プロとして、海外に対して情報発信するホームページにふさわしい翻訳となるよう最終仕様を、発注者側に提案しなかったのだろうか?説得しなかったのだろうか?と疑問に思うのです。確かに、発注者側に押し切られる事もあります。でも、そのまま仕事を請けてしまう事によるリスクを考えたのでしょうか?ましてや、このケースは多くの人の目に触れるホームページです。いくら「機械翻訳なので100%正しくない」という但し書きを付けたとしても、市場が受け入れなければ、その責を問われるのはやむを得ないでしょう。昨今は、道義的責任も企業は問われます。そう考えていくと、発注者にそのままで良いと押し切られて「はい、そうですか、では、その仕様でやります」という判断にはならない…しては、ならないと私は思うのです。その辺りの判断を、一体、この請け負った翻訳会社はどうしたのだろうと非常に興味があります。

私はこのケース、翻訳会社側の責任も結構大きいと思うのです。

それから気になるのは、当事者が「発注者」「HP運営業者」「翻訳会社」と3者いる訳ですが、誰も最終翻訳物の確認をしていない点です。仕事として誠にお粗末です。私は昨年、JTF主催の翻訳祭で講演した際、「クライアントさんよ、翻訳会社を良きパートナーとして捉え、相談して共に良い翻訳物を作って行こうという姿勢で取り組んで下さいよ」という趣旨のメッセージ出しをしました。この背景は、まさしく上記したクライアントの認識している最終仕様を、我々翻訳のプロの意見やアドバイスを吸い上げて、最終読者(最終使用者)の満足する翻訳仕様に可能な限り近づけるために、我々をもっと積極的に使ってくれ!という意図があったからです。

今回のケースを見ると、どうも、この3者間ではそのようなコミュニケーションが取れておらず、3者とも自己完結型の仕事に終始しているのではないかと勘ぐってしまいます。

さて、ここで「機械翻訳」について、私が考えている事を書きたいと思います。

「機械翻訳」という言葉の印象は、報道等を見ていると、世間に誤解を与えているような印象が拭えません。そこで、ちょっと極論で言いますが、一般の方々に正しく理解頂きたいと思うのは、機械翻訳物は「中間完成品」だという事です。技術が進歩しているとは言え、まだまだ100%ではなく、訳間違いもあるのです。機械翻訳の後、各種のチェックと修正を経て、初めて販売できる最終翻訳品が完成します。

機械翻訳した中間完成物を最終翻訳物として利用するケースも増えてきているものの、その場合は、例えば読者が限定される社内文書であるとか、ニュースなどの即時性を求められる情報、とりあえず意味の把握に使用する文書など、その使用領域は限定されると考えています。限定読者や情報の一次的伝達という目的において機械翻訳物をそのまま利用する事ができるでしょう。

今回のケースは、観光促進を目的としたホームページの翻訳ですが、さて、その目的に機械翻訳品は正しい選択なのか?概ね「No」と判断する人が殆どだと思います。つまり、機械翻訳物は目的に適していません。やはり、機械翻訳という特性を正しく理解し、その上で適用できる文書分野、情報分野を吟味した上で「機械翻訳物」のそのままの使用可否を判断するのが大切だと思います。

最後に、この翻訳は無償で翻訳業者が請け負ったそうです。被災地復興の手助けになればという思いからだったのでしょう。まさか、そんな事はないとは思いますが「無料だから質が悪くてもいい」という意識が働いていない事だけは祈りたい。一般論として「無料、もしくは通常より低価格だから品質は悪くてもいい」は大間違い。価格に関係なく、質の悪いものを世に出すのは、その翻訳者、翻訳会社にとって命取りになります。

翻訳の手直しもボランディアを募ってやると記事には書いていますが、私の伝手で得た情報ですと、有償で翻訳者に修正作業をさせようとしているようです。ただ、その費用を観光庁が負担するのか、その翻訳会社が泣くのかは分かりません。

関連リンク:


1000円ヘアカットに翻訳を映す

「1000円カットだん。
翻訳業界も1000円翻訳に流れてしまうのは、世の定めかww」

ヘアカットを終えて、駐車場の車の中から送信したこのツイートに、 Twitter や Facebookで翻訳者の方々から色々とコメントを頂きました。概ね「1000円翻訳」という言葉から、安価な翻訳サービスに関する懸念や考えに関するものでした。

1000円ヘアカットをして貰いながら、ぼんやり考えていたのは、1000円カットがない時代は普通に理容院や美容院に行ってヘアカットをしていたなぁ…という事と、その値段は遥かに高かったなぁと言う事。そして、何故、私が現在は1000円カットで「良し」としているのか?という事や、理容院や美容院に行くのはどんな時だろう?と言う事に思いを巡らせていました。

理容院や美容院と1000円ヘアカットでは、提供されるサービスの内容に大きな差があります。その差が売価の差になっているのですが、利用する顧客側から見た場合、必要最低限の機能は、「ある程度のスタイル」に「髪を刈りそろえる」という事だと思います。

1000円ヘアカットの話を出すと、必ず反応として出てくるのが「安かろう悪かろう」と言う話ですが、その「悪かろう」は何を判断したものか?がとても疑問に感じる訳です。

実は「理容院」と言う既成概念と比較して、当然提供される(と思い込んでいる)サービスが提供されない事を判断しているのかもしれません。もしくは「ある程度のスタイル」が気に入らず、短絡的に価格が原因と判断してるに過ぎないのかもしれません。もっとも後者は、比率に違いはあれど理容院や美容院でも、同じ事が起こるのですが。
実のところ、必要とされる機能である「髪を刈り揃える」の品質は、決して悪いとは思えないのです。

絞り込んだサービスが顧客に受け容れられれば、新たな市場が形成される訳ですが、1000円ヘアカットは廃れず生き延びているところを見ると、市場に受け容れられたという事でしょう。

何を1000円ヘアカットから発想したかと言うと、翻訳とは言え、サービスにせよ品質にせよ、顧客側がまだ認識していない受容可能なレベルがあり、そこを開拓すれば新たな市場が形成される可能性がある…と言う事です。

翻訳案件もピンからキリ。全てに同じ質が求められるか?と言うとそうではありません。

仮に切り詰めたサービスと質が市場に受け容れられたとしたならば、コストの掛からないサービスへ流れる顧客が増えるのは当然のこと。

なので「世の定め」とツイートしたのです。

既に色んな翻訳サービスが世に出てきています。翻訳経験がなくとも、言語が出来れば翻訳者として翻訳をさせ、提供してるようなサービスもあります。当然、仕入値を抑えられるので売価が低く設定されています。質を担保するための工夫が色々されているようですが、それが市場に受け入れられるか否かがカギになるでしょう。

エージェントの立場で考えれば、顧客の求めるものがそこにあるのなら、その可能性を無視する訳にはいきません。少々真面目に思考する必要があります。

翻訳プロセスを考えると、実は翻訳者側で抱えている機能を顧客側が肩代わりするという発想が出来るかもしれません。

あくまでも想像の世界ですが、例えば和訳の場合において考えられるのは、依頼するクライアントの内部には日本語のネイティブが山のようにいます。ライティングができるか否かを度外視して考えれば、そこそこの和訳品を安価に購入し、内部で日本語を洗練する…というアプローチだって出来るかもしれません。

安価なサービスが生まれると、「質」を楯に議論が沸きあがるのが常ですが、その質を見る視点を複数持っておく事が大切だと思います。それは、己の価値を何処に置くのか、どの方向へ自分を導くのかという考え方に繋がっていきます。