翻訳横丁の裏路地

We can do anything we want to do if we stick to it long enough.


ふたつの質

6年前の2012年2月に、日本翻訳者協会(JAT)が開催した関西セミナーで「まずは年収500万!~いま、エージェントとの付き合い方を考える~」というセッションがありました。その中で翻訳会社社長のされた発言が、最近、一部のSNSで取り上げられていたので、それをネタに少し書いてみたいと思います。その発言とは…。

「85点の速い翻訳者と95点の遅い翻訳者なら、前者を取る」

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訳文基準は品質劣化を生む

翻訳料の計算には、おおまかに二通りの基準があり、原稿の文字数やワード数で計算する「原文基準」と、翻訳後の訳文の文字数やワード数で計算する「訳文基準」です。

日本語英訳の場合を例に取ると、日本語原稿の文字数で計算するのが「原文基準」、翻訳後の英文のワード数で計算するのが「訳文基準」と言う事になります。

訳文基準は、まだIT機器のない時代に、原文の分量把握が難しいため、和訳した原稿用紙の枚数をカウントして料金計算した名残りだと理解しています。(間違っていたら教えてね)

今では簡単に原稿分量を計数できるようになり、業界の翻訳会社の計算方法も徐々に「訳文基準」から「原文基準」へ移行しています。日本翻訳連盟の業界調査報告「翻訳白書」によれば、未だに「訳文基準」を採用している翻訳会社は、2008年調査で約5割だったものが、2013年調査で約4割と減少してきています。

この「訳文基準」ですが、私のように翻訳の品質を考える立場の人間にとっては、誠に好ましくない計算方法なのです。

「訳文基準」の意味は、前述の英訳の例であれば、翻訳された英文のワード数をカウントして報酬を計算すると言うことです。

つまり、ワード数が多ければ多いほど、報酬が増えるのです。

さて、ここで品質の良い英訳(に限らず翻訳)とは何だろう?と考えてみて欲しいのです。簡潔で意味が的確に伝わり、読み易く分かり易い訳文だと思うのです。そうすると、冗長な文章ではなく、キュッと引き締まったコンパクトなものになる筈です。つまり、翻訳の品質を追求すると、概ね短いものになって行く…文字数やワード数が小さくなっていくものです。

「訳文基準」が持つ「文字数やワード数が多い方が報酬が増える」という性質は、翻訳品質の面でマイナスに作用する事になり、翻訳の計算基準として好ましくないと言う事になります。

実際、意図的に冗長な表現を多用して分量を水増ししようとしている訳文に遭遇した話も聞きますし、報酬を増やすためにそうしていると憚らずそういう発言をする翻訳者の話も耳にします。こういう話は翻訳者として悪質だとは思うものの、「訳文基準」の計算方法が持つ性格上、避けては通れないものだと思います。

また、訳文基準は価格の不透明感を顧客に与えるという弊害もあります。原文の大凡の分量から、係数を掛けて訳文分量を見積もり価格提示する訳ですが、完成した訳文分量とイコールになることはなく、常に見積額と請求額に差が生じる事になります。これが原文基準であれば、「見積額=請求額」となり、とても透明感のある価格体系となります。

翻訳会社は、翻訳品質を大切と考えるならば、早急に原文基準へ移行するべきだと思います。

また、翻訳を購入するクライアントは、訳文基準で価格提示している翻訳会社は、翻訳品質に対する意識が希薄かもしれないと言う判断の材料にしてみると良いでしょう。


チェックシートは品質保証にあらず

5月某日某社にて WildLight 社内セミナーをさせていただきました。その時に「おまけ」として話した「チェックシートは品質保証にあらず」をここでも紹介します。

チェックシートは品質保証にならず品質問題が発生すると「チェック(マーク)をつけよう」とか「チェックシートにしてチェックさせよう」という発言をする人を良く見かけます。あたかもそれが品質対策の一般常識のような勢いで、まことしやかに登場する「チェックシート」ですが、私は品質対策として期待通りには機能しない代物と考えています。

人間には、規則的連続動作を繰り返すことで、無意識でも同じ作業を繰り返し行うことができる「手続き記憶」の能力があり、製造業のポカミス対策では、その能力を利用した方法を行っています。例えば、複数箇所のビス(Screw)締め作業の場合、「ビス締め忘れ」(ポカミス)を防止する手段として、ビス締め順番を決め、その順番に沿って作業をするという指示を作業手順に盛り込みます。これは、作業実施者がその決められた順番で繰り返し作業する事で、その作業手順が手続き記憶として記憶され、積極的に意識をしなくても(無意識でも)決められた作業手順通りに作業が行えるようになります。ここで重要なのは、もし、作業している中で1本のビスを忘れてしまった場合、手続き記憶との不整合が発生し、作業実施者にはその部品忘れ、作業忘れが「違和感」として認識できるという点です。つまり、かなりの確率で自分のミスを自己検出できることになります。

この手続き記憶が、チェックシートにはマイナスに働きます。チェックシートの目的は、何かを「確認」し、その証拠を「記録」することですが、そのフローを大まかに書いてみると以下のようになるでしょう。

  1. チェックシート確認項目を読み、理解する
  2. 確認する(チェックする)
  3. 結果をチェックシートに記録する(レ点を付ける)

このフローの中で、手続き記憶が関わるのは3のみです。1と2は精神的プロセスなので肉体的動作を伴わず、手続き記憶として記憶に定着しません。また、精神的プロセスを必要とする作業項目は人間の意識に高く依存していて、人間が意識的に思い出し、また意識的にそれを脳内で実施しない限り簡単に欠落してしまいます。つまり、無意識に動作完結する物理的作業と、継続的意識を必要とする精神的プロセス作業が混在していることが、チェックシートの品質保証上の意味をぐらつかせていると考えるのです。

トラブル発生直後のチェックシート(チェックマーク付け)追加は、問題が新鮮であるが故に意識面で緊張を与えるため、その緊張が緩和されるまでの間、精神的プロセス作業は正しく再現され品質保証の効果を示します。しかし、その緊張が途切れた時、手続き記憶された物理的動作は継続されるものの、精神的プロセス作業は行われなくなるのです。現象として何が起こるか? それは、確認行為がされていないのに、チェックシートにレ点がついているものが出てくるということです。つまり、作業実施者の頭の中では「チェックシートへレ点をつける作業」に置き換わってしまったということです。

このような背景から、品質保証のために「チェックシートを実施する(チェックマークを付ける)」という発想はとても安易ですし、余計な作業工数が増える割に効果が無いことになります。

ただし「チェックシートにする」目的が、検査・確認する項目が標準化されておらず、それらをリスト化し明文化するのであれば、話は違います。「チェック内容とその基準が明確に指示されていない」という問題への対策となりますから、 品質保証上、重要となります。(ただ、チェックシートじゃなく、作業手順書で良いわけです)

さて、ここまで書いてしまうと、「チェックシートなんてやったって、品質が良くなる訳じゃないんだから、やらないよ!」という話をされてしまいそうですが、チェックシートには「記録」の意味があります。品質管理上の「エビデンス」という位置付けが大きいです。ISOや社内規程の要求事項として「品質記録」に位置付けられている場合は、品質管理上、必要です。

要は「チェックシート」もツールですので、その目的が何か?を正しく理解し、その目的に合った正しい使い方をすることが大切です。少なくとも「品質を良くするためにチェックシートにチェックマーク付けさせて…」という、ツールの特性と目的がアンマッチな発想だけは、避けたいものです。


IJET23「翻訳の品質管理」セッションに出ます

3月に当ブログでもお知らせをさせて頂きました「第23回日英・英日翻訳国際会議(ijet-23)」が、いよいよ二週間後に迫ってきました。

私は「翻訳の品質管理」と言うパネルディスカッションに、パネリストとして出席させて頂きます。

どの様な話題で話が展開していくか、また、モデレータの牧野氏がどう誘導されるのか、今からドキドキしています。

私個人的には、パネルディスカッションと言うセッションですので、聴講される皆さんとの情報交換、意見交換を大切にしたいと思います。

パネリストは、あくまでもそれぞれの立場の代表として前に立ちますが、それぞれの考えに正解がある訳ではありません。我々パネリストの発言に対してどう考えるのか?どう感じるのか?…そんな意見を会場に一緒にいる方々からも頂いて、その場にいる人達で共有し、そこから一歩前に進める議論がされ、その後の仕事の中で生かしていける…そんなセッションになるといいなぁ…と思っています。

この二週間は、自分の脳内で「翻訳の品質」について、おさらいしておこう思います。