翻訳横丁の裏路地

We can do anything we want to do if we stick to it long enough.


敵を知る(翻訳と下請法)

フリーランスの通訳者さんや翻訳者さん達は、仕事を請ける相手が翻訳会社やエージェントであったり、クライアントからの直請であったり、さまざまな事でしょう。

仕事の受発注に絡んで、色々と問題ある話しを伝え聞いています。

ひとつ、気にしておいて欲しい事は、「下請法」というものの存在です。下請けとして働く者を守る法律ですから、自分の身を守るためにも少し勉強しておく方がいいと思います。

公正取引委員会 下請法ホームページ

この公正取引委員会のホームページには、下請法を理解する上で役に立つパンフレットが複数準備されているので、ダウンロードして読まれる事をお勧めします。

これらのパンフレットを読み、理解する上で必要と思われる情報を、以下に書いておきます。

発注する側である翻訳会社/エージェント/クライアントは「親事業者」、仕事を請けるフリーランス(個人事業主)の方々は「下請事業者」に該当します。また、フリーランスの方々は、資本金1,000万円以下の下請事業者に該当します。
翻訳は「情報成果物作成委託」に該当します。従って、下請法の適用を受ける親事業者は、資本金1,000万1円以上の事業者と言う事になります。

上記のホームページにあるパンフレットの中で「知るほどなるほど下請法」が分かりやすいかもしれません。

親事業者の義務と親事業者の禁止行為等が書かれています。例えば、義務の1つには、発注書面の交付があります。つまり、口頭発注はダメって事です。禁止行為には、代金の減額とか受領拒否などがあります。下請事業者側に責任がないのに、下請代金を発注後に下げるとか、発注の取り消しや納期の延期で受領を拒否するなどは禁止されています。

でも、どこかで聞いたような話ですよねぇ。

取引する相手が、資本金1千万1円以上かどうかという事を意識しておく事も大切なのでしょう。その上で、正しい運用をしているかどうかを見る事で、取引先の意識と質が判断できるかもしれません。


1000円ヘアカットに翻訳を映す

「1000円カットだん。
翻訳業界も1000円翻訳に流れてしまうのは、世の定めかww」

ヘアカットを終えて、駐車場の車の中から送信したこのツイートに、 Twitter や Facebookで翻訳者の方々から色々とコメントを頂きました。概ね「1000円翻訳」という言葉から、安価な翻訳サービスに関する懸念や考えに関するものでした。

1000円ヘアカットをして貰いながら、ぼんやり考えていたのは、1000円カットがない時代は普通に理容院や美容院に行ってヘアカットをしていたなぁ…という事と、その値段は遥かに高かったなぁと言う事。そして、何故、私が現在は1000円カットで「良し」としているのか?という事や、理容院や美容院に行くのはどんな時だろう?と言う事に思いを巡らせていました。

理容院や美容院と1000円ヘアカットでは、提供されるサービスの内容に大きな差があります。その差が売価の差になっているのですが、利用する顧客側から見た場合、必要最低限の機能は、「ある程度のスタイル」に「髪を刈りそろえる」という事だと思います。

1000円ヘアカットの話を出すと、必ず反応として出てくるのが「安かろう悪かろう」と言う話ですが、その「悪かろう」は何を判断したものか?がとても疑問に感じる訳です。

実は「理容院」と言う既成概念と比較して、当然提供される(と思い込んでいる)サービスが提供されない事を判断しているのかもしれません。もしくは「ある程度のスタイル」が気に入らず、短絡的に価格が原因と判断してるに過ぎないのかもしれません。もっとも後者は、比率に違いはあれど理容院や美容院でも、同じ事が起こるのですが。
実のところ、必要とされる機能である「髪を刈り揃える」の品質は、決して悪いとは思えないのです。

絞り込んだサービスが顧客に受け容れられれば、新たな市場が形成される訳ですが、1000円ヘアカットは廃れず生き延びているところを見ると、市場に受け容れられたという事でしょう。

何を1000円ヘアカットから発想したかと言うと、翻訳とは言え、サービスにせよ品質にせよ、顧客側がまだ認識していない受容可能なレベルがあり、そこを開拓すれば新たな市場が形成される可能性がある…と言う事です。

翻訳案件もピンからキリ。全てに同じ質が求められるか?と言うとそうではありません。

仮に切り詰めたサービスと質が市場に受け容れられたとしたならば、コストの掛からないサービスへ流れる顧客が増えるのは当然のこと。

なので「世の定め」とツイートしたのです。

既に色んな翻訳サービスが世に出てきています。翻訳経験がなくとも、言語が出来れば翻訳者として翻訳をさせ、提供してるようなサービスもあります。当然、仕入値を抑えられるので売価が低く設定されています。質を担保するための工夫が色々されているようですが、それが市場に受け入れられるか否かがカギになるでしょう。

エージェントの立場で考えれば、顧客の求めるものがそこにあるのなら、その可能性を無視する訳にはいきません。少々真面目に思考する必要があります。

翻訳プロセスを考えると、実は翻訳者側で抱えている機能を顧客側が肩代わりするという発想が出来るかもしれません。

あくまでも想像の世界ですが、例えば和訳の場合において考えられるのは、依頼するクライアントの内部には日本語のネイティブが山のようにいます。ライティングができるか否かを度外視して考えれば、そこそこの和訳品を安価に購入し、内部で日本語を洗練する…というアプローチだって出来るかもしれません。

安価なサービスが生まれると、「質」を楯に議論が沸きあがるのが常ですが、その質を見る視点を複数持っておく事が大切だと思います。それは、己の価値を何処に置くのか、どの方向へ自分を導くのかという考え方に繋がっていきます。


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時間という概念

最近、年末だと言う事もあるのか、来年のスケジュール帳を購入する時期にあるからなのか、スケジュール管理にまつわる話題をあちこちのブログで見掛ける。

なので、スケジュール管理を一歩進めて、時間管理について書いてみたい。

「時間給」のサラリーマンをやっていると、会社にいる時間(敢えて仕事をしている時間とは表現しない(笑))に賃金が払われていると言う意識に陥りやすい。と言うより、そういうシステムだろ?とさえ思ってしまう。

極論を言えば、仕事を片付ける上で、どれだけの時間を投入するかは余り重要ではなく、間に合わなければ残業すればいい。不法なサービス残業をしなくてはならない雰囲気を持った企業でない限り、その残業に対価が支払われる。

そうなると、人によっては時間にルーズになり、「会社にいる事=お金」と言う意識が脳内を占める事になる。

この辺りの意識は「年棒制」になるとかなり変わる。投入した時間に関係なく賃金が同じになるシステムである。

時間は、万人に平等に一日24時間与えられたリソース。そこから、どれだけの時間を収入を得る為の仕事に投入するか?と言う認識に変わってくる。

勿論、決められた勤務時間は働かなくてはならない。それだけの時間を投入する事が、最低限求められているのだから仕方がない。問題は、それを超えた時間を投入するのか否かと言う事である。

そう考えると、投入しなくてはならない時間内に全ての仕事を完結させる事が一番効率が良く、そうすれば残りの自分の時間リソースを自分自身のために投入できる。

私が昔から言ってるのは「時間」はリソースだという事。有限の資源。それをどう有効活用するかが大切。仕事の時間内に全て完了して定時で帰る。それを常に意識して仕事を組み立てる癖をつけるのが、まず大事。

  • その仕事は必要なのか?目的は何か?やらなくても良い仕事ではないのか?
    報告書やレポートの類に過去の流れで出しているものが結構多い。黙ってやめてみる。必要な人がいれば必ずクレームがくる。こなければ不要な仕事だって事だ。
  • 処理をとにかく自動化する。
    その作業するのに頭使ってるか?単なる作業なら人間のやる事じゃないから自動化を考える。コンピュータにやらせる。 人間はあくまでも頭脳を使う仕事だけをするようにすべし。
  • 転記作業/手書き作業なんて無駄。転記/手書きは「罪」と認識すべし。徹底的に無くす手段を考えて実行すべし。
  • もっと簡単な方法はないのか?を常に意識して改善する。
  • 情報は個人持ちにしない。全てメンバーでシェアすべし。相互サポートすべし。
  • 誰が一番早くできるのかを考える。そしてその人間に任せる。
  • 1つの行為に複数の意味をつける。単独の作業は罪。
  • 一番短い動線を考える。
  • 業務フローはシンプルイズベスト。
  • タスクは分単位に終了時間を設定して、その目標で終わらせる。
私は、こんな事を考えながら、日々仕事をしている。

人生の1/4は寝ていて、残りの時間を仕事と自分のために使う訳だから、仕事は仕事の時間だけできっちり終わらせたいじゃないか。要は「より短い時間を仕事に投入する」という意識が大切だと思う。ダラダラとした意識を持った瞬間、際限なく時間を垂れ流す事になる。

出来なくても構わないから、定時間内にキッチリ終わらす…と思って仕事を工夫しよう。

そして、残った時間を自分への投資に差し向けよう。

なにもぎすぎすしたやり方をしようと言っているのではない。ぼんやりする時も積極的にぼんやりしよう。時間の使い方の意味をちゃんと意識しているって事が大切だと思う。

 


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第一回放送録画:社内翻訳者「とは、なら、から」

先のブログ記事でご連絡した10月22日放送の「社内翻訳者「とは、なら、から」」は、当方のミスで録画がされておりませんでした。本日、録画目的で再放送を致しましたので、録画を公開いたします。

第一回放送録画:社内翻訳者「とは、なら、から」

ツイートログ

22日は、ユニーク視聴数101、平均で55前後の視聴があったようで、皆様に感謝しております。

第二回放送は未定ですが、機会とテーマがありましたら、実施したいと思います。
もし、こういうテーマで話はできないか?等の提案・要望がありましたら、こちらへのコメント、もしくはツイート下さい。

 

 

 

 

 


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USTREAM放送をやろうと思う。

先日の I-JET プレイベント(in 大阪)の関根マイク氏の講演を聴講した後、色々と考えを巡らしていた。

そもそも私は会社に属する人間である事、それに会社が外販を積極的に展開していない事を鑑みると、仕事を得る事を目的としたセルフブランディングに必要性を感じていなかった。

ただ、昨日の「環境」をテーマにした記事をアップした後、この考え方が会社に依存する事を大前提とした、とても怠惰で保守的で自滅的な発想だと気付かされた。

近視眼的仕事への繋がりをそもそも関根氏は言ってない。長期的な自己実現のスタンスに立てば、メディア上に存在する自分をブランディングする事の意味は計り知れない。また、昨日書いた自らの将来に向けた「環境」作りに繋がる。

そこで、少々短絡的だが「何か」を少しづつ始めたい。

講演の中で「これからはビデオだ」と言う話がされた。そこには微塵の疑いもなく同感なので、そこに手を付けてみたい。

つまり、USTREAM放送を使った情報発信をやってみようかと思う。

実は、当ブログのアクセスログを眺めていると、私のブログに辿り着いてくる検索キーワードでダントツに多いのが、「社内翻訳」である。(次点が会議通訳)

よって、社内翻訳ネタでブログ記事を展開してみようかと考えていたところだったのだが、この際、一気にUSTREAM放送に持ち上げてみようかと思う。

果たしてどれほど興味を持って頂けるものか、お役に立てるものかは分からないが、やってみたい。