翻訳横丁の裏路地

We can do anything we want to do if we stick to it long enough.


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大阪でもWildLightセミナー

二年振りに大阪へ行きます。ほんまかい(大阪)主催の勉強会でWildLightセミナーをさせていただきます。

日時:5月14日(土)13:00-17:00
場所:神戸大学学友会大阪クラブ@大阪梅田駅前第1ビル11階

タイトル:「翻訳チェックとWildLight活用」(仮称)

詳細と申し込みは、ほんまかいホームページへ。


 

【セミナー概要】
個人翻訳者が翻訳完成物を納品する前に実施すべき品質チェック項目とチェックフローを、翻訳コーディネータの立場から提案し、実際にテリーが実施している翻訳チェックフローを例として取り上げ、そのフローになった理由や皆さんがフロー構築する上で考慮すべきことを説明します。また、それらのチェックでどのようにWildLightを活用しているかをデモで紹介いたします。

関西地区で個人を対象としたWildLightセミナーは、多分、初めてだと思います。興味のある方は、是非、この機会に参加をご検討ください。


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タッチタイピング

先日、日本翻訳連盟が主催する翻訳支援ツール説明会に参加してきた。その中のお題にキーボード練習法というのがあったのだが、キー入力を鍛えるという点で、とても有効な練習法だと思った。

キーボード入力は、翻訳者にとって避けては通れない必須技能だと思うが、故にタッチタイピングは「出来て当たり前」だと思っていた。ところが、しんハム氏が2015年10月に行った翻訳者アンケートによれば、「できない」と答えた方が7%、「一応できる」と少し自信の無い方を含めると30%にもなって、少々驚いた結果になっている。

キーボード入力は、翻訳の効率を考えると、「正確に間違いなく」「速く」打てるに越したことはない。また、翻訳中の思考を妨げない程度の習熟度が必要だと思う。

タッチタイピングを習得するには、いろいろなアプローチがあるようだが、私がどのような方法を採ったか記憶にない。パソコン通信時代のチャットがトレーニングの場だったように思う。ただ、この時は「文字が入力される」事が目的であったため、運指に余り気を遣っておらず、時にいい加減で変な手癖を付けることになってしまった。

昔、日本翻訳連盟でセミナーをさせていただいた時にも言及したのだが、ミスタイプといったポカミス/作業ミスの類は、問題が発生したものを後で見付けて潰すのではなく、最初から発生させない対策アプローチを取るべきであるとお話しした。スペルミスやミスタイプも、間違って打鍵したものを修正するという発想ではなく、最初からミスタイプしないアプローチが必要となる。

私がセミナーで紹介した我流のミスタイプ対策は、単語単位でそのスペルの打鍵パターンを身体の動作記憶に定着させるというアプローチだった。これは、単語のスペルを(単語の発音とともに)一文字づつ脳内で意識して打鍵し、ミスなく正しい打鍵パターンを繰り返すことで身体に覚えさせる。翻訳の作業自体がトレーニングとなるので、改めて練習する時間を必要とせず、また、スペルを覚えられて一石二鳥だった。この方法は「文字が入力される」ことよりも「正しく正確に入力する」ことに主眼を置いた方法なので、上述した「手癖」を治す良い方法になった。

この方法を繰り返していると、入力しようとする単語を脳内で発音しながら打鍵パターンを再生して入力するようなイメージになっていくのだが、そこで仮にミスタイプを起こすと、違和感となって分かるようになる。この方法は、特に簡単な単語ほど有効に働く(長い単語は自ずと確認しながら慎重に入力するので、ミスは発生しづらい)。

キーボード入力は「技能」なので、反復練習しか習得する方法はない。「正確に間違いなく」「速く」打てるタッチタイピングを習得するには、先ずは指のホームポジションを覚え、(キーボードを見ることなく)正しい指でキーを押す練習が必要不可欠に思う。日々のキー入力で面倒がらず、基本に沿った運指で入力するだけで、その後の結果が大きく変わってくると思う。タッチタイピングをまだ習得していないという方は、今日からでも意識して入力してみては如何だろうか?

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【2016/02/25 13:00追記】

さて、私のブログに触発されて高橋聡さんが「# タイピングの話」という記事をブログにアップされましたので、私のブログ記事にも少し追記しておきます。

私は昔からローマ字入力です。「なぜ、かな入力にしなかったのか?」という疑問が残ると思います。高橋さんが書かれているとおり、

「かな入力のほうが打鍵数が少なくて効率的」

と私も考えていますが、タッチタイピングを本格的に意識してキーボードを触り始めた若き頃、私はアメリカ赴任を目指していたという事もあり、頭の中は英文ありきだったんです。つまり、ふたつのキー入力パターンを覚えることは非効率だと考え、英文も日本語もある程度効率的に入力できる折衷案として、必然的にローマ字入力を選択したのですね。

在米中はもっと効率的に入力できないか?とDvorak配列などにも手を出し、東芝dynabook用のフリーソフトウェアを公開したりしましたが、結局、頭で意識せずとも入力できるQWERTY配列によるローマ字入力から離れられなかったのが事実です。何としてもマスターするという意識が低かったのですね。40歳を超えた頃、携帯電話のポケベル入力方式を必死でマスターし、キーを見なくてもメールが打てるほどになっていたのですから、結局、新しいキーボード配列や入力方式を学ぶには、どれだけ必要に迫られ、必死になるかというところに尽きるのだと思います。

タッチタイピングも、翻訳者には必須である…という強い意識を持って取り組む。そこだろうなと思います。


置換は翻訳にあらず

言葉を仕事にする人間として誠に恥ずべき事ではありますが、今まであまり意識をすることなく「置換翻訳」なる言葉を間違って使っていました。この場を借りまして、翻訳関係者の皆様には深くお詫び申し上げます(笑)

「何をいまさら、そんな当たり前のことを?」
と、タイトルをご覧になった方は思ったことでしょう。

最近、「またかよ…」と思うような出来事があったのです。以前、翻訳会社から納品されたある技術文書の英訳品をチェックした際、あまりに出来が酷く、ツールを使った置換を利用したと推測されるものでかなりイラつきながら訳し直しをしたのを覚えています。今回は特許翻訳の和訳品で、品詞に関係なく置換されており日本語として成立していない。こんなものを平気で納品してくる翻訳会社も問題ですが、それ以前に置換した結果に見直しさえ掛けないで翻訳会社へ納品した翻訳者の問題が大きい。

つまり「何をいまさら、そんなの当たり前」と思っていない翻訳者が多少なり存在し、置換したものを見直しせずにツールの出力結果を鵜呑みにする思考を持って商業翻訳に従事している人が、少なからず存在しそうなので、敢えてこんなタイトルで記事を書いてみることにしました。

私個人的には、置換を利用する場合、固有名詞だけにせよと話をし続けているのですが、世の中には品詞に関係なく置換している人がいると聞きます。上記のふたつの例は、まさしくそういった置換をしているものですね。

置換は翻訳ではない

怒りにまかせてFBに書き込みをしたら、ある方から「置換は省入力であって、決して省翻訳であってはならない」という趣旨のお言葉を貰いました。ど真ん中貫いた簡潔な言葉に、私は痛く感動しました。そして冒頭のような反省をした次第です。

翻訳事典2017年度版の巻頭記事「わたしの提言」の中で、井口耕二さんがこんな事を書かれています。

どのようなツールにも功罪両面がありますが、罪の方は聞こえてこないものです。

不適切なツールを導入すれば、翻訳者としての基礎が崩れてしまうこともあります。

置換ツールに絞って考えれば、翻訳をする上で適切な使い方というものがあり、それを越えたところで使用した場合、「害」が発生する。上述した例は明らかなツールの使い方の間違いですが、翻訳者はそれを認識していないようだし、ツールの出力結果をあたかも鵜呑みにしているが如く見直しもされていない感じです。これは、ツールを利用したときの効率ばかりが聞こえていて、ツールを利用したときの「害」をまったく認識しないで(もしくは無視して)導入しているのではないかと想像されます。また、納品されたような訳文を「善し」と判断している時点で、翻訳者としての技量に大きな疑問を持つわけですが、そういう認識にさせる一因に、こういうツールの使い方が多少なりとも関係しているのではないかと考えています。

「それは使っている翻訳者の問題」という意見もあります。ツール開発者がそこまで想定しているかという問題もあります。でも、電化製品を想定外使用して火災になり人命に影響する…に類する知識と情報は、必要だと思うのです。利点も言えば欠点も言う。「使い方によっては、あなたの翻訳者としての能力伸長を阻害しますよ」みたいな情報も、やはりあるべきだと思うのです。私もWildLightなどのツールを開発している立場ですが、そういったツールの翻訳における正しい使い方(間違った使い方)を、明確にしておく責任があると感じました。

置換は単なる「省入力」。置換により入力されたものは、ちゃんと翻訳として問題ないかを検証しなくてはなりません。置換で翻訳が完了することは絶対あり得ず、故に全文を通したチェックの中で問題を拾い修正する行為が絶対に入ります。

もし、置換ツールを含め翻訳支援ツールを使用しているのでしたら、今一度、ツールを使用する目的は何か、その目的に合致した使い方をしているか、ツールを使用する事による害は何かを再検討/再認識して、正しい使い方に是正する機会にして貰えたらと思います。


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年の初めはWildLight

ワードアドインマクロ「WildLight」のセミナーが1月と2月に予定されていますので、ご紹介いたします。今年は何か新しいことに手を付けてみたい・・・ツールに手を出してみたい・・・という方は、お手頃なWildLightから始めてみてはいかがでしょうか?(笑)

  • 2016年1月31日(日) 東京ほんま会主催
    WildLight中級セミナー
    過去、東京ほんま会でWildLight初級セミナーを実施してきました。今回は既にWildLightをお使いの方を対象に、実際に自分たちの抱える問題を解決するために、ワイルドカードやWildLight特殊コマンドを使って辞書を作り、WildLightで処理していくワークショップスタイルで進めていきます。
  • 2016年2月27日(土) サン・フレアアカデミーオープンスクール
    WildLight初級セミナー
    昨年もオープンスクールで「WildLightで効率アップ&品質アップ」というクラスを担当しましたが、今年は単純たるWildLightの使い方教室です。メニューにある機能と準備された辞書ファイルで実現できる機能をデモンストレーションしながら解説します。これからWildLightを使おうと考えている方にぴったりのセミナーです。

なお、WildLightは、拙者の別ブログ「WildLight」で無料でダウンロードできます。


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MT Live ~機械翻訳の担うべき役割~ を聴講した。

第25回JTF翻訳祭の午後は、トラック2セッション4「MT Live ~機械翻訳の担うべき役割~」を聴講した。このパネルディスカッションは、機械翻訳システムを開発・販売する側として東芝ソリューション株式会社と、以前、東北観光博ホームページの誤訳問題で注目を集めた株式会社クロスランゲージ、そして翻訳の玄人側として、特許翻訳事務所の方や技術翻訳スクールの方、そして遠田和子先生という組み合わせで行われた。モデレーターは大手翻訳会社の社長だった。

このパネルディスカッションの雰囲気は、私にとって終始気持ち悪いものだった。特に翻訳の玄人の視点で、機械翻訳の訳文の質を評価する立場だと思われる翻訳スクールの方が、意外にも機械翻訳へ傾倒した印象だったのは、少し恐いものを感じた。

機械翻訳の質は、本当に正しく評価されているのだろうか?

事前に渡された資料は、特許、IT、一般の3つの分野に分けられており、それらの分野の英文原文が「対象文」欄に、そして、それに対になる形で機械翻訳された訳文が「MT訳」欄に、そして次に「参照訳」欄の順で表になっていた。セッション開始前にその資料のIT分野の表を眺めていたのだが、この「参照訳」って一体何だろう?と疑問に思った。その訳文の質から、多分、機械翻訳したものをポストエディットした訳文で、「ほら、ポストエディットすれば、機械翻訳もそこそこ使えるレベルになるでしょう?」と説明するためのものだろうと想像していた。

しかし、説明が始まって分かったのは、参照訳は登壇された方が翻訳されたものだということで、これにかなり驚く(思わずツイート)。そして、その参照訳に対して機械翻訳の訳文を比較し「これはダメですね」「いい線いってますね」「完璧ですね」と評価して、機械翻訳の翻訳精度を見せようとしていた。そもそもの比較基準が参照訳程度であることは、果たして良いのだろうか?と素直に疑問を感じた

このパートを聴講して考えたのは、例えば一般の人がこの説明を聞いてどう捉えるかである。単純にいえば、翻訳としてどうであるか?という視点を排除し、参照訳と機械翻訳を文字の羅列として比較し、文意が伝わるかという視点で説明されると「なるほど、結構、使えそう」と誤解するのではないだろうか?(実際、聴講していた方が「ITソフトウェアの文章に関しては、・・・(中略)・・・機械翻訳とでは、あまり違いはなかったようです。」と感想を述べられている点からも分かる)。そして人間翻訳と比較して安価なコストを見せられれば、心が揺らぐのも理解できる。そう考えると、機械翻訳を導入する側の罪より、売る側の罪の方が遥かに大きいのではないかと思った。以前の東北博問題の時にも同様に考えたが、少なくとも翻訳事業を内部に持ち、翻訳のプロである某社には、この質問を会場でぶつけてみたかった。

ちなみに、参照訳の質に対する私の判断がおかしいのかと思い、セッション終了後に周りにいた翻訳者さん複数名に確認したが、異口同音に私と同じ感想を口にしていた。

機械翻訳の正しい使い方は?

開発・販売側より「大量の英文の中から自分の読みたいパートを探すために、まずは機械翻訳で日本語にし、日本語で読みたい部分の当たりを付けて、原文英文を読むという使い方に使える」というような発言があった。こういう大量なものを短時間で何となく意味の伝わるものへ変換するのは、機械翻訳の得意技だし、正しい使い方だと思った。何よりも機械翻訳の出力が、第三者の読者へ最終成果物として提供されない使い方で、とても正しいと思った。

ただ、残念ながら、このパートの議論は余り深耕されることなく、この程度で終わった。一体、あの市町村役場のホームページなどで多言語化目的に大量に導入されている機械翻訳システムについて、どう考えているのか?また、このセッションメンバーはどう考えるのか?

村岡花子の故郷・甲府市の公式ホームページに関するブログ」というブログがある。このブログは、甲府市が導入した機械翻訳システムの吐き出す珍訳を紹介し、機械翻訳の使い方について問題提起している。「機械翻訳なので正確ではない」という免責コメントがあるにせよ、ブログ記事を読む限り、情報正確性を放棄してまで導入する価値が果たしてあるのか些か疑問である。(参考:機械翻訳システムの無責任使用)

MTを使いこなす翻訳者!?

技術翻訳スクールの方から「これからの翻訳者はMTをどう使いこなすかで差が出る」という趣旨の発言があった。これを聞いて私は愕然とした。翻訳学校の方が、こんな発言をするとは想像さえしなかったからだ。

これから翻訳者を志す方達は「翻訳者」という言葉の定義を自分なりにしっかり持つように心掛けないとならないと思う。「翻訳者」、「ポストエディター」、「MTオペレーター」とでも、業界で明確に切り分けがなされるまで、あれもこれも「翻訳者」と一括りで話がされるのだろう。自分が志す「翻訳」とは何かをしっかり定義付けて、業界で発信される情報を見極める目が必要になると思った。

私個人的には、MTを自分の翻訳プロセスの一部に使う発想は全く持てない。機械翻訳の出力を目にすること自体が毒だと思うからだ。翻訳者になるには、可能な限り「綺麗なものだけを観る」方が良いと私は思っている。

翻訳テクノロジーの発展は単価をさらに押し下げる

これからの翻訳テクノロジーの発展を議論される中で、モデレーターの「この先、翻訳テクノロジーが益々発展したら、新しいツールが出てきて、そして単価が下がり…」という言葉に複雑なものを感じた(二回も言及されたことに、モデレーターのある種の誘導を感じずにはいられない)。TRADOSなどの翻訳支援ツールの登場により、翻訳単価が下落したケースを引用しての発言だったが、この部分だけを考えると「この類の質」を提供している翻訳者は仕事を失うことになる(MTオペレーターとして生きるのかもしれない)。「翻訳」を仕事にしたいのなら、そんなセグメントからは早く撤退した方がいいだろう。

最後に

MTの研究開発はどんどん進めて欲しいと思う。今のMTの問題は、最終読者の期待値をどこに置くかという点を含め、何に使えるのかの研究が疎かになってることではないかと思う。ホームページへの使用を含め、正しい使用に是正されることを期待したい。