翻訳横丁の裏路地

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MT Live ~機械翻訳の担うべき役割~ を聴講した。

第25回JTF翻訳祭の午後は、トラック2セッション4「MT Live ~機械翻訳の担うべき役割~」を聴講した。このパネルディスカッションは、機械翻訳システムを開発・販売する側として東芝ソリューション株式会社と、以前、東北観光博ホームページの誤訳問題で注目を集めた株式会社クロスランゲージ、そして翻訳の玄人側として、特許翻訳事務所の方や技術翻訳スクールの方、そして遠田和子先生という組み合わせで行われた。モデレーターは大手翻訳会社の社長だった。

このパネルディスカッションの雰囲気は、私にとって終始気持ち悪いものだった。特に翻訳の玄人の視点で、機械翻訳の訳文の質を評価する立場だと思われる翻訳スクールの方が、意外にも機械翻訳へ傾倒した印象だったのは、少し恐いものを感じた。

機械翻訳の質は、本当に正しく評価されているのだろうか?

事前に渡された資料は、特許、IT、一般の3つの分野に分けられており、それらの分野の英文原文が「対象文」欄に、そして、それに対になる形で機械翻訳された訳文が「MT訳」欄に、そして次に「参照訳」欄の順で表になっていた。セッション開始前にその資料のIT分野の表を眺めていたのだが、この「参照訳」って一体何だろう?と疑問に思った。その訳文の質から、多分、機械翻訳したものをポストエディットした訳文で、「ほら、ポストエディットすれば、機械翻訳もそこそこ使えるレベルになるでしょう?」と説明するためのものだろうと想像していた。

しかし、説明が始まって分かったのは、参照訳は登壇された方が翻訳されたものだということで、これにかなり驚く(思わずツイート)。そして、その参照訳に対して機械翻訳の訳文を比較し「これはダメですね」「いい線いってますね」「完璧ですね」と評価して、機械翻訳の翻訳精度を見せようとしていた。そもそもの比較基準が参照訳程度であることは、果たして良いのだろうか?と素直に疑問を感じた

このパートを聴講して考えたのは、例えば一般の人がこの説明を聞いてどう捉えるかである。単純にいえば、翻訳としてどうであるか?という視点を排除し、参照訳と機械翻訳を文字の羅列として比較し、文意が伝わるかという視点で説明されると「なるほど、結構、使えそう」と誤解するのではないだろうか?(実際、聴講していた方が「ITソフトウェアの文章に関しては、・・・(中略)・・・機械翻訳とでは、あまり違いはなかったようです。」と感想を述べられている点からも分かる)。そして人間翻訳と比較して安価なコストを見せられれば、心が揺らぐのも理解できる。そう考えると、機械翻訳を導入する側の罪より、売る側の罪の方が遥かに大きいのではないかと思った。以前の東北博問題の時にも同様に考えたが、少なくとも翻訳事業を内部に持ち、翻訳のプロである某社には、この質問を会場でぶつけてみたかった。

ちなみに、参照訳の質に対する私の判断がおかしいのかと思い、セッション終了後に周りにいた翻訳者さん複数名に確認したが、異口同音に私と同じ感想を口にしていた。

機械翻訳の正しい使い方は?

開発・販売側より「大量の英文の中から自分の読みたいパートを探すために、まずは機械翻訳で日本語にし、日本語で読みたい部分の当たりを付けて、原文英文を読むという使い方に使える」というような発言があった。こういう大量なものを短時間で何となく意味の伝わるものへ変換するのは、機械翻訳の得意技だし、正しい使い方だと思った。何よりも機械翻訳の出力が、第三者の読者へ最終成果物として提供されない使い方で、とても正しいと思った。

ただ、残念ながら、このパートの議論は余り深耕されることなく、この程度で終わった。一体、あの市町村役場のホームページなどで多言語化目的に大量に導入されている機械翻訳システムについて、どう考えているのか?また、このセッションメンバーはどう考えるのか?

村岡花子の故郷・甲府市の公式ホームページに関するブログ」というブログがある。このブログは、甲府市が導入した機械翻訳システムの吐き出す珍訳を紹介し、機械翻訳の使い方について問題提起している。「機械翻訳なので正確ではない」という免責コメントがあるにせよ、ブログ記事を読む限り、情報正確性を放棄してまで導入する価値が果たしてあるのか些か疑問である。(参考:機械翻訳システムの無責任使用)

MTを使いこなす翻訳者!?

技術翻訳スクールの方から「これからの翻訳者はMTをどう使いこなすかで差が出る」という趣旨の発言があった。これを聞いて私は愕然とした。翻訳学校の方が、こんな発言をするとは想像さえしなかったからだ。

これから翻訳者を志す方達は「翻訳者」という言葉の定義を自分なりにしっかり持つように心掛けないとならないと思う。「翻訳者」、「ポストエディター」、「MTオペレーター」とでも、業界で明確に切り分けがなされるまで、あれもこれも「翻訳者」と一括りで話がされるのだろう。自分が志す「翻訳」とは何かをしっかり定義付けて、業界で発信される情報を見極める目が必要になると思った。

私個人的には、MTを自分の翻訳プロセスの一部に使う発想は全く持てない。機械翻訳の出力を目にすること自体が毒だと思うからだ。翻訳者になるには、可能な限り「綺麗なものだけを観る」方が良いと私は思っている。

翻訳テクノロジーの発展は単価をさらに押し下げる

これからの翻訳テクノロジーの発展を議論される中で、モデレーターの「この先、翻訳テクノロジーが益々発展したら、新しいツールが出てきて、そして単価が下がり…」という言葉に複雑なものを感じた(二回も言及されたことに、モデレーターのある種の誘導を感じずにはいられない)。TRADOSなどの翻訳支援ツールの登場により、翻訳単価が下落したケースを引用しての発言だったが、この部分だけを考えると「この類の質」を提供している翻訳者は仕事を失うことになる(MTオペレーターとして生きるのかもしれない)。「翻訳」を仕事にしたいのなら、そんなセグメントからは早く撤退した方がいいだろう。

最後に

MTの研究開発はどんどん進めて欲しいと思う。今のMTの問題は、最終読者の期待値をどこに置くかという点を含め、何に使えるのかの研究が疎かになってることではないかと思う。ホームページへの使用を含め、正しい使用に是正されることを期待したい。

作成者: Terry Saito

某社翻訳部門の中の人です。 詳細は、以下のURLよりどうぞ。 https://terrysaito.com/about/

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