ここのところ、複数の翻訳会社の営業さんとお話する機会があり、その度に伺っているのが、震災の影響。
今のところ、異口同音に仰るのは、通訳への影響は大きかったが、翻訳への影響は感じられず、むしろ増えている感があると言う事だ。
分野によるのかもしれないが、翻訳者さん達の話を聞いていても、同じ感じを受けているので、概ね合っているのだと思う。
貴方の感触とあっていますか?
投稿者: Terry Saito
ここのところ、複数の翻訳会社の営業さんとお話する機会があり、その度に伺っているのが、震災の影響。
今のところ、異口同音に仰るのは、通訳への影響は大きかったが、翻訳への影響は感じられず、むしろ増えている感があると言う事だ。
分野によるのかもしれないが、翻訳者さん達の話を聞いていても、同じ感じを受けているので、概ね合っているのだと思う。
貴方の感触とあっていますか?
投稿者: Terry Saito 1件のコメント
2月11日にIJET23のプレイベントとして、大阪セミナーが開催されたが、その中のプログラムに「第二部:まずは年収500万!~いま、エージェントとの付き合い方を考える~」があった。
このパネルディスカッションは、昨年、大阪で開催されたプレイベントで、私がパネリストとして出席したパネルディスカッションのリベンジ版と言う位置付けらしい。
今回のパネルディスカッションの内容は、有志により実況ツイートされていた。
とても興味深く拝読したのだが、そのツイートの中に「95点で遅い人より85点で速い方が使える」というツイートがあり、Twitter上で翻訳者さん達から様ざまな反応が出ていた。
発言された翻訳会社の社長さんの本意は、ブログに書かれているので、参照されたい。
私は、このツイートを読んだ時、「その通り」と思った。実務的には、そういう選択になるケースが比較的多いからだ。決して、発言の意図は「質を落としても、速い方がいい」という事ではないと思う。質に関しては、案件により要求される品質にバラツキがある。その85%なり95%が、そのバラツキ範囲内での差と解釈した方がいい(手離れの良さの差はあるが)。使い物にならない質のものは、どこまで行っても駄目なのだから。
そう考えた場合、設問は多分「質が同じ翻訳者で、速い人と遅い人なら、どちらを取るか?」と言う形に変えた方が分り易い。
答えは明らかだろう。
速くて正確。そんな翻訳者さんがいたら、やはり欲しい。多少、コストが高くとも欲しい。内部でのチェックや修正工数が削減されるのだから、当然だろう。つまり、質は当然の事として、スピードも、翻訳者にとって大きな付加価値となる。
概ね納期に厳しい案件が多い昨今、スピードは翻訳者さんを判断する上での大きなファクターになりつつあると思う。
iPhoneから投稿
投稿者: Terry Saito
「1000円カットだん。
翻訳業界も1000円翻訳に流れてしまうのは、世の定めかww」
ヘアカットを終えて、駐車場の車の中から送信したこのツイートに、 Twitter や Facebookで翻訳者の方々から色々とコメントを頂きました。概ね「1000円翻訳」という言葉から、安価な翻訳サービスに関する懸念や考えに関するものでした。
1000円ヘアカットをして貰いながら、ぼんやり考えていたのは、1000円カットがない時代は普通に理容院や美容院に行ってヘアカットをしていたなぁ…という事と、その値段は遥かに高かったなぁと言う事。そして、何故、私が現在は1000円カットで「良し」としているのか?という事や、理容院や美容院に行くのはどんな時だろう?と言う事に思いを巡らせていました。
理容院や美容院と1000円ヘアカットでは、提供されるサービスの内容に大きな差があります。その差が売価の差になっているのですが、利用する顧客側から見た場合、必要最低限の機能は、「ある程度のスタイル」に「髪を刈りそろえる」という事だと思います。
1000円ヘアカットの話を出すと、必ず反応として出てくるのが「安かろう悪かろう」と言う話ですが、その「悪かろう」は何を判断したものか?がとても疑問に感じる訳です。
実は「理容院」と言う既成概念と比較して、当然提供される(と思い込んでいる)サービスが提供されない事を判断しているのかもしれません。もしくは「ある程度のスタイル」が気に入らず、短絡的に価格が原因と判断してるに過ぎないのかもしれません。もっとも後者は、比率に違いはあれど理容院や美容院でも、同じ事が起こるのですが。
実のところ、必要とされる機能である「髪を刈り揃える」の品質は、決して悪いとは思えないのです。
絞り込んだサービスが顧客に受け容れられれば、新たな市場が形成される訳ですが、1000円ヘアカットは廃れず生き延びているところを見ると、市場に受け容れられたという事でしょう。
何を1000円ヘアカットから発想したかと言うと、翻訳とは言え、サービスにせよ品質にせよ、顧客側がまだ認識していない受容可能なレベルがあり、そこを開拓すれば新たな市場が形成される可能性がある…と言う事です。
翻訳案件もピンからキリ。全てに同じ質が求められるか?と言うとそうではありません。
仮に切り詰めたサービスと質が市場に受け容れられたとしたならば、コストの掛からないサービスへ流れる顧客が増えるのは当然のこと。
なので「世の定め」とツイートしたのです。
既に色んな翻訳サービスが世に出てきています。翻訳経験がなくとも、言語が出来れば翻訳者として翻訳をさせ、提供してるようなサービスもあります。当然、仕入値を抑えられるので売価が低く設定されています。質を担保するための工夫が色々されているようですが、それが市場に受け入れられるか否かがカギになるでしょう。
エージェントの立場で考えれば、顧客の求めるものがそこにあるのなら、その可能性を無視する訳にはいきません。少々真面目に思考する必要があります。
翻訳プロセスを考えると、実は翻訳者側で抱えている機能を顧客側が肩代わりするという発想が出来るかもしれません。
あくまでも想像の世界ですが、例えば和訳の場合において考えられるのは、依頼するクライアントの内部には日本語のネイティブが山のようにいます。ライティングができるか否かを度外視して考えれば、そこそこの和訳品を安価に購入し、内部で日本語を洗練する…というアプローチだって出来るかもしれません。
安価なサービスが生まれると、「質」を楯に議論が沸きあがるのが常ですが、その質を見る視点を複数持っておく事が大切だと思います。それは、己の価値を何処に置くのか、どの方向へ自分を導くのかという考え方に繋がっていきます。
投稿者: Terry Saito
ある方が「たまに通訳を褒められるが、そんな時に思うのが『観客に、うまいと感じさせるのも、実力のうち』」と言うツイートをされているのを見かけた。御本人はジョーク半分で仰ってるのかもしれないのだが、私は、その通り!と思わず心の中で拍手。
かつて、インハウスで通訳者を6年ほどやっていたが、今や私は通訳者ではないので、あまり偉そうなことを書いてしまうと怒られそうなのだが、私もこの方と同じ事を考えてアプローチしていた時代もあった。今日は、日頃書かない通訳ネタを書いてみたい。
先日、10年振りに元上司であり元同僚だった方と酒を酌み交わした。その時、彼に「米国取引先の人間が、Terryは英語が上手いと言っていたぞ」とサラリと言われた。社交辞令を大いに含む発言だけども、悪い気持ちはしない。心の中でこっそりと「上手く騙せてた?」と思っていた。実のところ、上手くはない。うまそうに見せていただけかもしれない。
通訳者として駆け出しの頃は、兎に角、自分に自信がなかった(いつまでも、ずっと、なかったが)。そういう気持ちは必ず、通訳してる時の態度だったり声に出てくる。聞いているクライアント、それに相手先に不安な印象を与えてしまう。
「こいつ、大丈夫か?」
「ちゃんと通訳できてんのか?」
「大切な事が相手に伝わってるんだろうな?」
「ちゃんと相手の言ってること、分かってるんだろうな?」
これではもう通訳者以前の問題。お話にならない訳です。
語学学習、通訳技術の向上、そういう能力向上の努力は当然必要なことだが、加えて、こういうメンタル面の訓練も必要だと思うのです。人と直接交わる仕事と言うものは、全てそう言うものだと思います。
昔、私も冗談半分に通訳ネタをツイートしていたが、その中でこんな事をツイートした事がある。
トムクルーズになったつもりで話す。
そう。私は英語がネイティヴ並みに上手いんだ。それも聞いてる側が惚れ惚れするような英語を話すんだ。聞いたことは全部分かるんだぞ。
ここまで極端ではないにしろ、頭の中に雄弁に英語で話をする人間をイメージして、その方を演じて通訳してみる…と言うようなアプローチをした事があります。
まぁ、別にトムクルーズでなくてもいいのですが。
演じる…と言うアプローチをすると、しっかりした英語を話そうと試みるわけですから、自ずと英語を上手くなろうと言う意識が強くなる。そういうモチベーションに繋げる効果もあるように思います。
これって、英語学習者にも使えるアプローチかもしれませんね。
投稿者: Terry Saito
「この度、めでたく定年を迎えられ…」
先日、そんな挨拶を耳にした。それと同時に、この昭和の匂いがプンプンする「定年がめでたい」と言う感覚に、強烈な違和感を持たずにはいられない。
言われてる御本人だって、本意ではないだろうに。
私自身に定年なんて意識はない。この仕事を始めてからは、全くなくなった。むしろ、一生現役でいたい。
勤め人故に儀式的な定年はあるだろうが、隠居に入るわけでもなく(笑)、翻訳を軸に仕事をずっとやっていくだろう。
個人的に、この一律にある年齢で定年するというシステム、人間をダメにするように思えてならない。
あぁ、もうすぐゴールだ…そう考えた瞬間にアスリートは、100%の実力が出なくなるそうだが、普通の人間だって精神面で言えば、同じ事が起こるだろう。
イキイキと生きたい。
そう考えたら、人が勝手に引いたゴールなぞ無視して、一生現役でいる!と言う意識で日々の仕事をこなして行きたいものである。