翻訳横丁の裏路地

We can do anything we want to do if we stick to it long enough.


無駄なものなんて何にもない

古いアルバムをパラパラめくり、昔の写真を見ていると、その当時の恥ずかしい自分が脳内で再生されて、かなり落ち込む。

昔の自分は掻き消したいくらいに、思い出す事が辛い…。だから、あまりアルバムを見るのは好きではない。

ただ、同時に思い出されるのは、当時自分がやっていたこと。

「あぁ、この頃は毎週末、メイクアップの学校に通ってた。徹底的にセンス無くて凹んでたな」とか「早朝からTV会議で通訳して、昼間は内部打合せに調整、深夜遅くまで翻訳して死にそうだった。日本に居ながら寝言が英語になってた頃だ」とか、過去に自分が経験してきた事を色々と思い出す。

いま、私の年齢になってつくづく思うのは、それらの経験のどれひとつをとっても、無駄になっていないと言う事。

今の自分に繋がる布石になっていたり、今の仕事のあらゆる所で自分をサポートしてくれている。

20年前に今の自分を想像できただろうか?…全く想像できない。当時の自分のキャリアパスとは全く違う異業種に現在は就いている。

つまり、今、自分がやっている事さえ、将来の自分にどう繋がるかは分からないって事だ。

今の仕事は、実は全てがそれまで経験してきた職務経験のお陰で成り立っている。語学力も翻訳力も、経営管理も品質管理も交渉術も、全てのベースはそれらの経験。

でも、それらを経験している時は、それが後の自分にどう生かされて行くのかなんて、考えてもいなかった。

経験した事が無駄になんてならない。

  • 今、目の前にある事に真面目に取り組もう。それが大切だと思う。
  • 自分のやりたい事とは違っても、真面目に取り組む事が大切だと思う。
  • 面白いと思ったら、躊躇しないでとにかくやってみよう。
  • 不可抗力的に経験させられる事、自ら飛び込んで経験する事、どちらにおいても大切なキーワードは「真面目に取り組む」ことだと思う。

    その意味は、単位時間当たりの経験密度を高くせよ…と言う意味。適当にやるのと必死でやるのでは、その密度は大きく違う。投資する自分の時間は同じなのだから、その価値を高めるに越した事はない。

    「石の上にも三年」という諺がある。

    この「三年」を私はひとつの区切りとしている。仕事が変わったら、兎に角三年は頑張って見る。その仕事の深くまで理解し、自分の仕事として応用力を発揮しながらこなせるようになるのが、それくらいの年数だと経験的に思うからだ。多分、この年数は個人差がある筈だが、私は「三年」一区切り。自分の意思にそぐわぬ事でも、それくらいの「留まり学ぶ」期間が必要だと思う。

    私がこの記事で言いたい事。それは…

    今、目の前にある事は好き嫌いに関わらず、真面目に取り組めよ…と言う事。無駄な経験なんてひとつも無いのだという事。経験は自分の引き出しの数を増やす事になるのだという事。そして、スティーブジョブズ氏のスピーチじゃないが、経験と言う点と点が、将来、線で結びつき、自らの生き方を支えてくれる原動力になる。