翻訳横丁の裏路地

We can do anything we want to do if we stick to it long enough.

ふたつの質

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6年前の2012年2月に、日本翻訳者協会(JAT)が開催した関西セミナーで「まずは年収500万!~いま、エージェントとの付き合い方を考える~」というセッションがありました。その中で翻訳会社社長のされた発言が、最近、一部のSNSで取り上げられていたので、それをネタに少し書いてみたいと思います。その発言とは…。

「85点の速い翻訳者と95点の遅い翻訳者なら、前者を取る」

こんな趣旨で伝わったと思います。翻訳者からみれば、質を軽視した発言と取れるので、当時のTwitterタイムラインを賑わしましたね。

ただ、私はエージェントの立場でも翻訳をみているので、この発言を聞いて「そりゃ、そうだよなぁ」と思ったものです(当時の私のブログ記事にもそう書いてありました)。そもそも発言者は、質を軽視する意図で言ったわけではなく、プロなら速度にも気を遣えという意味で仰ったようです。

私は以前から、周りの人間には「翻訳の品質は、ふたつの視点で考えるべし」と言い続けています。

ひとつは本来の純粋な質、翻訳者が追求する(読者視点の)翻訳の質のことです。もし、この視点で前述の発言を耳にすれば、質なんて二の次と聞こえてしまうのはやむを得ないことだと思います。でも一方で、我々は翻訳を商品として販売し、その対価を貰って商売をしています。つまり、もうひとつは商品(サービス)としての(顧客視点の)質です。前者はQCDのQだけ、後者はQCDのすべてと捉えても良いかもしれません。極論「Q × D × C」くらいの計算式で考えた方がわかりやすいのでしょう。

視点の違いは各々の優先順位を変えます。顧客の要望はさまざまで、ゆえにQCDの優先順位も案件によって変わることになります。昔から納期の厳しい案件が多い傾向なのであれば「速さ」が「品質」より優先するという考え方になるでしょう。(発言はこういった背景からされたのでしょう)

「85点」と「95点」の差をどう見るのかは、話の筋として大きな問題ではありません。わかり易くするのに、どちらも「100点」に置き換えて読めば良いと思います。

翻訳会社では、翻訳者から納品された翻訳物を、社内で校閲・校正チェックを行い、翻訳物を100点にしてから納品するという工程を組んでいる(べき)でしょう。その際に翻訳者が納品する翻訳物の最低品質レベルを、例えば75点としているならば、85点も95点も必要充分な質を持っていることになりますから、ならば速い翻訳者の方が好ましいと考えるのは至極自然のことだと思います。

翻訳者が翻訳の真髄を究めようとすることは、とても大切なことだと思います。Qに視点をおいた質の追究が絶対に必要です。一方で翻訳でお金を貰っているがゆえに、ビジネスとしての翻訳の視点も必要だと思います。Dの視点でもしっかり考えないとならないと思っています。自分の最高品質を保ちつつ速度を上げる努力は継続していく必要があるでしょう。(昔の上司が「遅い仕事は誰でもできる」と言っていたのを思い出します。)

この前者と後者の間にあるギャップは、翻訳者にとってとても気持ちが悪いものでしょう。私も個人的に嫌いです。できれば前者に身を置いていたい。この差を縮めるひとつの手は、顧客を選ぶということになるでしょうね。数は少ないとは言うものの、QDCの順でものを判断する顧客や案件はまだまだあります。そして、そういう顧客や案件を獲得する上で絶対に必要なのは、「質の高い翻訳」であるのは言うまでもありませんね。

【参考リンク】

作成者: Terry Saito

二足の草鞋を履く実務翻訳者です。某社で翻訳コーディネーター、社内翻訳者をやっていました。 詳細は、以下のURLよりどうぞ。 https://terrysaito.com/about/

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