翻訳横丁の裏路地

We can do anything we want to do if we stick to it long enough.


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I have a dream.

「I have a dream.」

そう、あのマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの演説に登場した一節だ。

私はこの言葉がとても好きである。

心で繰り返すだけでキング氏の演説を思い出し、心が揺さぶられる思いがする。

心で繰り返すだけで、自分の思いが滲み出てくる。

心で繰り返すだけで、その言葉のシンプルさに反した、その背景にある人々の想いに涙腺が緩む事がある。

私には夢がある…文字にすると何とも薄っぺら。それだけの意味にしか捉えられない。でも、その裏に隠れた強い思いがある時、言葉を超えた意味が伝わってくる。

翻訳や通訳って、これを伝える仕事だと思う。字面じゃ駄目なんだ。君の想いと気持ちを伝える時、言葉を慎重に選ぶだろ?それと同じさ。

原稿の作者の想いと気持ちを汲み取り、我々の技術で上手く伝えて上げよう。そういう意識が我々の仕事では大切だよね。


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警戒すべきは「慣れ」

7月から入った新しい翻訳コーディネータさんに、指示をしながら仕事を進めて貰っているのだが、色々と話をする中で、彼女が感じた問題点や疑問を聞いていると、『そう言えば、私も同じ事を感じ、考えていた』事を思い出す。

それらは事業的、業務的事情から納得した上で回避策を講じて対応している内容もあり、改めて「何故なんでしょう?」と問われると、そうだよな、理想的姿からすると宜しくない…と気持ちを新たにさせられる。

日々の仕事に追われる事は、気付かずに心に慣れを生んでいる。物事を理解はしていても心にない。これでは何も知らないのと同じ事ではないか。

私自身としては、この新しい翻訳コーディネータさんとの会話をとても楽しんでいて、こういう自らの気持ちに喝を入れてくれる彼女の発言に感謝している。

この大切なコミュニケーションで気付かされた事は、しっかりと心に留めて仕事に反映させたいと強く思う。


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「アインシュタイン その生涯と宇宙(下)」の翻訳騒動

「アインシュタイン その生涯と宇宙(下)」に関する翻訳内容に関してネットを賑わせているが、出処はアマゾンのレビュー。

酷い翻訳内容の実際を紹介した投稿と、そこに翻訳者からの説明が投稿されている。

この投稿をきっかけにいろいろな議論が生まれているようなのだが、翻訳者の説明に「機械翻訳」というキーワードがあったために、機械翻訳の是非やら、機械翻訳の質に対する一般の人々の認識を問題にしている議論もあり、少々違和感を持っている。

そもそも、機械翻訳を使った翻訳文をそのまま商流ベースに乗せる事自体が、分野を問わず、あり得ない事なのだから。

翻訳者の説明がすべて正しいとするならば、問題は、本来、世に出る筈もない質の翻訳が、出版社のずさんな内部品質管理と社内組織の問題で、書籍として商流に乗ったということだろう。

疑問なのは、編集長が社長に出版の再延期を申し入れたのに断られた…という点。

社長が申し入れを断った理由がどこにあるのか?

社長が13章を読んで驚愕したというくだりがあるところから、社長は事態を正しく認識していなかった可能性がある。販売延期を申し入れした際の編集長とのコミュニケーションに問題があるのだろう。

編集長が問題点を正しく社長に伝えたのか?…伝えられない様な社内の雰囲気が出来上がっているのではないか?
社長も、再延期を申し入れられているのは、余程の事情があるのではないか?と親身に傾聴したのか?が大いに疑問である。これは経営者としてはリスクマネージメントができておらず失格だろう。

今回の件で、出版社はどんな対策を取るのだろう。その内容如何では、翻訳本に限らず、この出版社の本を買うにはそれなりの覚悟が必要そうだ。


2件のコメント

鉄は熱い奴に打たせろ!

何事も、好きな奴には敵わない。
好きな事はストレスさえも感じることなく、全ての神経を集中し、自分を投入する。
それはどんな人でも同じでしょう。

ならば、そういう人材に然るべき仕事を任せるのが、一番効率が良く、高い成果を得られる。

「適材適所」

使い古された言葉だが、まさしくそれです。組織の立場から考えれば、その仕事を熱く語る人間にやらせてみるという意識が大切ですね。

だめですよ、人ごとのようにこの言葉を読んでいては。我々個人レベルでも考えさせられる言葉です。

我々個人レベルが考えるべき事は、一体自分は何に適した材なのか?どこが自分に適した場所なのか?という事でしょう。

一体、自分は何に熱くなれるのか?熱く赤くなった鉄をサウナのような環境で、迸る汗を掻きながら、そんなものを忘れ去るほど一心不乱に叩けるものって何なんだろう?

それを自分で知り、そこへ自らを導く。

どんな言葉も、捉える基準を変えれば、自らに課せられたキーワードが捉えられるものです。