翻訳会社から納品される翻訳物のチェックをするのに「チェックしやすいから」「訳抜けが見つかるから」というチェックする側の視点のみで、対訳表のような原稿を作り、空欄の訳文列に翻訳文を入力せよという作業指示で翻訳発注するクライアント企業があるそうです。
翻訳する側の都合は、まったく無視されています。
昨年の翻訳祭で講演した際、同様の質問をいただいた記憶があります。「チェックするときに対訳表にするのであれば、翻訳する前に対訳表形式にして、そこに翻訳すれば効率的ではないか?」という趣旨の質問だったと記憶していますが、翻訳の質に影響するから避けるべきという回答をいたしました。
翻訳という仕事は、大変な仕事だと常日頃から思うのです。単語ひとつを決めるのに、訳文ひとつを決めるのに、脳内でまことに多くの処理をして考えて判断して、そして文字として出力している。(翻訳者さんには、ほんと、頭が下がります。)
その作業の多くを脳内処理に頼っているがゆえに、わずかな思考への影響や精神的な影響が訳文の質へ影響すると私は考えています。
もう何年も前の話ですが、顧客に依頼されてCATツールを導入し、翻訳をするようになった時期がありました。作業を繰り返すうちに「危ないな」と感じるようになったのです。人間とはなかなか面倒臭いもので、「慣れる」と意識できなくなるとか、枠を設けるとその枠に思考が制限されてしまうとか、いろいろと無意識のなかで自分の思考プロセスに悪影響を与えてしまうようです。これは、翻訳の仕事を繰り返している中で、自分で感じ、気づき、実感したことがベースになっています。
上述のやり方は、同様に翻訳へ悪影響を与えるやり方だと考えています。すべての文が枠の中にある。その状況が文単位で完結すれば良しという意識を生む。森の中の木だけを見たような、繋がりの悪いブチブチ訳を生み出す危険性を持つことになり、結果的に翻訳品質を下げることになるかもしれません。もちろん、影響を受ける度合いは個人差があるでしょう。目的意識がぶれることがなく、自分の思考がどういう動きをしているかを客観的に意識して翻訳をされているベテラン翻訳者でないかぎり、少なからず無意識のうちに思考プロセスへ影響を受けていると思うのです。
この顧客は、翻訳会社に相談すべきだったと思います。品質面で最善策を導くために両者のフローを理解し、玄人の意見を聞いた上で、最適解を求めるような議論をすべきだったでしょう。また翻訳会社も言われるがままではなく、相手の目的を理解した上で、プロとして問題点を指摘し、最適な対応案を提案すべきと思います。(至極当り前のことですが)