2月8日に開催された日本翻訳連盟主催の2010年度第9回翻訳環境研究会に出席してきた。
今回のテーマは「ヤンマーのマニュアル翻訳者が語る、翻訳の実情と翻訳者の役割」で、ヤンマーテクニカルサービス株式会社(以下YTSK)のポール牧野氏が講演された。
出席者の顔ぶれは、翻訳会社の方、社内翻訳者さん、それにフリーランス翻訳者さん。(名簿上45名)
私が今回、この研究会への出席を決定したのは、YTSKの位置付けと取り扱っている翻訳案件が私の会社に類似していると予測された事と、牧野氏の立場が私の立場に似たものだろうという予測から、翻訳にまつわる業務において、色々と有益な情報を聞ける事を期待したからだ。
セミナーは二部構成で進められ、第一部は「社内翻訳者の仕事と役割」、第二部は「パートナーとしての翻訳者・翻訳会社」というタイトルで講演された。
当ブログではセミナーの内容を細かく解説しても仕方がないので、あくまでも私が気に留めた部分だけをご紹介したい。
なお、当セミナーは Twitter 上で有志により実況中継された。そのログは以下URLから参照できるので、詳細を知りたい方は閲覧して下さい。
第一部「社内翻訳者の仕事と役割」
最初に講演の目的を説明された。
「ソースクライアント・翻訳会社・フリーランス翻訳者間の相互理解の向上」と言う、正しく出席者層にマッチした内容で、大いに期待感をそそられる。
ヤンマーとYTSKの紹介がされたが、ここでは割愛する。
重要なポイントとしては、YTSKのソースクライアントは「ヤンマー本社」と「そのグループ会社」のみで、ヤンマーグループ以外への外販はされていないと言う事。ここは私の会社とは違う点だった。
また、取扱うドキュメントは、取扱説明書、各種マニュアル、パーツカタログや販売資料などがメインで、ライティング、イラスト作成、DTPなども業務範疇とし、翻訳業務をされている。
マニュアル翻訳を主軸にされている事から、マニュアル翻訳の今後の動向を話されていた。
昨今、電気製品や電子機器のマニュアルがCDーROMで供給されたりWebへ公開されている事は、我々一般消費者から見ても分かる点だが、ヤンマーの取扱う製品群から考えると、例えば農耕機を扱う顧客であれば紙によるマニュアルが好まれるなど、「紙媒体」のマニュアルはなくならないとの事。今後は、「紙媒体」と「電子書籍」の二本柱に。翻訳では「データ管理」と「XML移行」がキーになってくるとの事。
やはり、XML移行は早急に且つ真剣に取り組まなくてはならないなと実感させられる。
翻訳者側から見た場合も、XMLを扱えるという事がメリットになるのだという事を理解しておいた方がいいと思う。
YTSKの社内翻訳者の仕事の説明がされた。
- 社内翻訳(パッチワーク翻訳という部分翻訳を含む)
- 社内翻訳レビュー
- 翻訳メモリの運用と管理
- 用語集管理
- 英文リライト(STE使用による)
- 外注折衝
- 翻訳発注業務
- 翻訳者のリクルートなど
これらのファンクションから分かる通り、世間的に言われている「社内翻訳者」の業務範疇より遥かに広い。つまり、YTSKで言う社内翻訳者は、コーディネーターやチェッカーなど多岐の機能を有しているという事だ。
私も表向きはコーディネーターを名乗っているが、同様に上記職務を自分の職務の一部として全て担っている。
高いオーバーヘッドを持ってもビジネスできるような超大手翻訳会社でもない限り、複数の業務ファンクションを一人で担うのは極当たり前の事であり、表向きな職務タイトルではその業務範疇を判断するのは難しいという事だと思う。
翻訳レビューに関する話の中で、翻訳のレビュー/校正は、必ずプリントアウトして行われているとの話がされた。我々の感覚では無駄な紙消費を抑える為にPC画面上でレビューし、赤入れもタイプする事で対応できるという利点を考えると、紙でのレビューは非効率に映る。
紙でのレビューは、ご本人の好みで行っていると仰っていたが、取り扱うドキュメントの多くがマニュアル類という性格上、レイアウト等の確認を最終成果物の形態でチェックするという品質保証の観点でも必要な事なのだろうと私は解釈した。
マニュアル翻訳では翻訳メモリの運用/管理が重要であるとの話は凄く頷けた。マニュアル類では機種名のみが変わったような文書が多く、翻訳メモリによる一致率が高く、翻訳メモリの使用の効果が高いからだ。
翻訳メモリが正しく管理され運用される事で、翻訳会社からの仕入れ価格を抑えられ、均一な品質の翻訳物を仕入れることが可能になる。
上司よりコストダウンを迫られており、マッチ率75%を1つの目標としてマッチ率向上に努めているとの事。具体的に何をやっているかはお話聞けず…だったが、後で出てくるSTEが1つの方法と考えられる。
「翻訳メモリはツールであり、ソリューションではない」という言葉には、大きく頷いた。
リライトに STE を適用され、マニュアル品質に役立てておられる話は、とても刺激的で面白かった。
質問の中で、STEは航空宇宙産業が発祥だが、どう適用しているか?苦労はないのか?という問いがあったが、STE専用の用語集を作ったり、四角四面な適用はせず、考え方の利点を上手く適用して活用しているとの話がされた。
アカデミックなものも現場に合った形に変えたり、前提をはっきりした上で適用するという事が、我々現場で仕事をする者にとって大切な姿勢であると考えるので、牧野氏の回答を聞いて、とても素晴らしい考え方だと思った。
方法論は突き詰めるだけなら単なるマニアの世界。租借して使える形に変えて運用してこそ、初めてビジネスとなる。
STEは私の扱う案件にも適用できるものがあるので、導入を検討しようと思う。
企業に属するグループ翻訳会社としての本当の翻訳資産は「会社事情に詳しい翻訳の専門家が社内に存在すること」であると話がされた。所属企業・グループの扱う製品・技術・オペレーションに関する知識が深いという事は、当然、グループ翻訳会社の優位性であるので、至極納得のいくメッセージだと思った。これがなければ、外部翻訳会社に頼んでも同じ事だからだ。
第二部:パートナーとしての翻訳者・翻訳会社
ここから、話がますます出席者の立場に近い話がされ、楽しくなってくる。
最初にYTSKの翻訳体制に関して、過去、現在、未来の体制を話しされた。過去は、完全に社外の翻訳会社に頼りっきりの状況だったらしいが、現状は社内翻訳者2名、フリーランス翻訳者2名、外部翻訳会社はメインに3社という体制らしい。外部と内部での翻訳比率は8:2との事。
(02/13追記:牧野氏より:外部と内部で8:2とお話しましたが、これは過去半年(社内翻訳者2名体制になってから)、内製化を進めている日英翻訳のみをさしています。日英以外は翻訳会社に発注していますので、全ての翻訳では外部での翻訳比率が上がります。)
この話を聞いて私は正直、度肝を抜かされた。数億の売り上げのうち、8割を社内で処理しているという事は、リソースとして2名でそれだけの売り上げを上げていると言う事である。もし、社内にフリーランス翻訳者も含まれているとしても4名である。
セミナー後、相棒と「どうやってるんだろうか?」と顔を見合わせた。
考えられることとしては、翻訳メモリの役目が我々の想像より遥かに大きい可能性があること、または、売り上げに占める翻訳だけの占有率は低く、DTPに代表される製作作業による売上額が多くの比率を占めていると言う事だろう。私の予想は後者であるが真実は不明。
(02/13追記:牧野氏より:翻訳メモリ化・メモリの変換(2007→2009)やDTPのWord→FM変換も工数に入れているので、増加しています。)
(02/13追記:牧野氏より:売上に関しては、社内でのDTPやイラストが占める割合の方が翻訳より高いです。社内翻訳者2名に対してDTP担当者はパートも含めると8名、イラスト担当者は5名となっています。)
「ブローカーになっていませんか?」
なんてシンプルで且つ刺激的な問いかけでしょうか?
翻訳会社よ、自らを今一度見つめ直してみよ…との問いです。エージェントがエージェントとしての仕事をせず、単に仕入れた翻訳物を右から左に流してないか?と、強烈な問い掛けです。やる事をちゃんとやって納品しなさいと。
ブローカーに徹するなら、それなりの体制が必要なのです。
例としてOEM製品を考えると分かり易いです。これはアウトソーシングした先でさまざまな管理業務、調整業務、品質管理の体制を持ち、全てを保証します(それに見合ったコストも当然発生します)。つまり、これを翻訳会社に置き換えると、翻訳する翻訳者にこれらを保証してもらう…コーディネーション、調整作業、レビューやリライトをする体制を作って実施してもらう…、こんな事は現実的にはありえません。アウトソーシング先が翻訳会社であれば、可能性はあるかもしれませんが。
サプライチェーンの中で、これらの機能と体制を確実に持てるのであれば、ブローカーに徹することは可能ですが、「翻訳者⇔翻訳会社」の関係では現実的には成立しないので、翻訳会社は必ずさまざまな管理業務、調整業務、品質管理を担う必要があります。
品質・価格・納期より「信用」
とても面白い展開です。信用第一だと私も思います。品質(Q)、価格(C)、納期(D)を期待値通りに守る事が、信用を勝ち取る最低限の手段だと私は思うので、このメッセージは「信用」を常に意識したQCD管理をすべしと解釈しました。
発注者は翻訳会社に何を求めるのか?「横並びのサービスでも、選ばれる会社があるのはなぜか?」の問いはとても面白く思いました。牧野氏が言われた通り、「無料トライアル」「高品質」「低価格」「スピード納期」…何処の翻訳会社さんも同じセールス文句で売り込みにきます。
牧野氏が聴衆する翻訳会社へ「何を売りにしているか?」と問い掛けられ、それに対して返された答えも「社内全チェック、質の均一化、専門家チェック」など、品質に関する優位性を説いておられる。私の会社も色々と売り込みに来られる翻訳会社さんがおりますが、やはり「質」の優位性をセールスポイントとして説いてこられる。
私がいつも思うのは「で?」です。
品質に納期は当り前の事。特定分野での強みは当然評価しますが、自分達に必要のない分野なら何の優位性も感じません。その当り前を前提に、コストがどうであるか、さらに進めるとそれらをひっくるめた信頼性がどうであるかが気になるところ。
パートナーとしてのフリーランス翻訳者の可能性の中で「直接取引のリスク」として、非法人(信用問題)、スケジューリング、社内チェック工数の増加を挙げておられました。
私は最後の「社内チェック工数の増加」を聞いて、あれ?と思ったのです。私の経験上、リスクではなくメリットと捉えていたからです。社内チェック工数が掛かるのは、むしろ協力翻訳会社に依頼した翻訳物で、その質のバラツキを考えると個人翻訳者より遥かに大きいからです。
多分、うちと違う状況があるのだろうと思われるので、次回、牧野氏にお会いした時に聞いてみたいと思っています。
今回のセミナーに参加して、色々と参考になる事が多かったです。自分達の将来像が一部垣間見られたところもあり、目標として真似させて貰おうと思ったところもありました。今回初めて相棒もセミナーに参加して貰ったのですが、彼の得意分野であるマニュアル系の話だったため、非常に興味を持って話を聞いてくれたようです。