翻訳横丁の裏路地

We can do anything we want to do if we stick to it long enough.


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タッチタイピング

先日、日本翻訳連盟が主催する翻訳支援ツール説明会に参加してきた。その中のお題にキーボード練習法というのがあったのだが、キー入力を鍛えるという点で、とても有効な練習法だと思った。

キーボード入力は、翻訳者にとって避けては通れない必須技能だと思うが、故にタッチタイピングは「出来て当たり前」だと思っていた。ところが、しんハム氏が2015年10月に行った翻訳者アンケートによれば、「できない」と答えた方が7%、「一応できる」と少し自信の無い方を含めると30%にもなって、少々驚いた結果になっている。

キーボード入力は、翻訳の効率を考えると、「正確に間違いなく」「速く」打てるに越したことはない。また、翻訳中の思考を妨げない程度の習熟度が必要だと思う。

タッチタイピングを習得するには、いろいろなアプローチがあるようだが、私がどのような方法を採ったか記憶にない。パソコン通信時代のチャットがトレーニングの場だったように思う。ただ、この時は「文字が入力される」事が目的であったため、運指に余り気を遣っておらず、時にいい加減で変な手癖を付けることになってしまった。

昔、日本翻訳連盟でセミナーをさせていただいた時にも言及したのだが、ミスタイプといったポカミス/作業ミスの類は、問題が発生したものを後で見付けて潰すのではなく、最初から発生させない対策アプローチを取るべきであるとお話しした。スペルミスやミスタイプも、間違って打鍵したものを修正するという発想ではなく、最初からミスタイプしないアプローチが必要となる。

私がセミナーで紹介した我流のミスタイプ対策は、単語単位でそのスペルの打鍵パターンを身体の動作記憶に定着させるというアプローチだった。これは、単語のスペルを(単語の発音とともに)一文字づつ脳内で意識して打鍵し、ミスなく正しい打鍵パターンを繰り返すことで身体に覚えさせる。翻訳の作業自体がトレーニングとなるので、改めて練習する時間を必要とせず、また、スペルを覚えられて一石二鳥だった。この方法は「文字が入力される」ことよりも「正しく正確に入力する」ことに主眼を置いた方法なので、上述した「手癖」を治す良い方法になった。

この方法を繰り返していると、入力しようとする単語を脳内で発音しながら打鍵パターンを再生して入力するようなイメージになっていくのだが、そこで仮にミスタイプを起こすと、違和感となって分かるようになる。この方法は、特に簡単な単語ほど有効に働く(長い単語は自ずと確認しながら慎重に入力するので、ミスは発生しづらい)。

キーボード入力は「技能」なので、反復練習しか習得する方法はない。「正確に間違いなく」「速く」打てるタッチタイピングを習得するには、先ずは指のホームポジションを覚え、(キーボードを見ることなく)正しい指でキーを押す練習が必要不可欠に思う。日々のキー入力で面倒がらず、基本に沿った運指で入力するだけで、その後の結果が大きく変わってくると思う。タッチタイピングをまだ習得していないという方は、今日からでも意識して入力してみては如何だろうか?

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【2016/02/25 13:00追記】

さて、私のブログに触発されて高橋聡さんが「# タイピングの話」という記事をブログにアップされましたので、私のブログ記事にも少し追記しておきます。

私は昔からローマ字入力です。「なぜ、かな入力にしなかったのか?」という疑問が残ると思います。高橋さんが書かれているとおり、

「かな入力のほうが打鍵数が少なくて効率的」

と私も考えていますが、タッチタイピングを本格的に意識してキーボードを触り始めた若き頃、私はアメリカ赴任を目指していたという事もあり、頭の中は英文ありきだったんです。つまり、ふたつのキー入力パターンを覚えることは非効率だと考え、英文も日本語もある程度効率的に入力できる折衷案として、必然的にローマ字入力を選択したのですね。

在米中はもっと効率的に入力できないか?とDvorak配列などにも手を出し、東芝dynabook用のフリーソフトウェアを公開したりしましたが、結局、頭で意識せずとも入力できるQWERTY配列によるローマ字入力から離れられなかったのが事実です。何としてもマスターするという意識が低かったのですね。40歳を超えた頃、携帯電話のポケベル入力方式を必死でマスターし、キーを見なくてもメールが打てるほどになっていたのですから、結局、新しいキーボード配列や入力方式を学ぶには、どれだけ必要に迫られ、必死になるかというところに尽きるのだと思います。

タッチタイピングも、翻訳者には必須である…という強い意識を持って取り組む。そこだろうなと思います。


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数字は翻訳しないのか?

Com2Blogのブログ主 Komatsuさんが「数字でも翻訳不要の用語でも、全部カウントしますよ」という記事を公開されました。

よくぞ、言ってくれたと心の中でガッツポーズ。

これに関連して、いくつかツイートしたので、以下に加筆修正して貼り付けておきます。

翻訳プロセス上、数字も英単語と全く取扱いが一緒です。数字に報酬を払わないと言われたら、数字抜きでは文章解釈不可能で翻訳できないため、仕事をお断りしています。

数字やUIなどを「翻訳不要」なものという表現を我々翻訳関係者がしてはダメです。翻訳は絶対必要で「言語間で文字の置換が不要な場合が多い」だけです。翻訳は文字の置換行為ではありません。

翻訳はまず原文の解釈から始まるわけだけど、その翻訳の過程は誰でも理解してくれる。そこで日本語原文から数字を抜いて読んで貰い、解釈できるかを聞いてみる。概ね正確な解釈なんて無理だよね。おまけに数字は重要な情報で欠かせないケースが多い。これで「数字抜きはダメ」だと大体理解して貰える。

数字に報酬を払わないという意味は、数字を翻訳対象から除外するという意味と解釈できる。そうすると、前述の通り「原文解釈不可能」となるので、普通の翻訳者なら仕事が受けられないって事になる。だから断るべきなのよね。

以前から何人かの翻訳者さんより「数字をカウントしない翻訳会社があるのですが…」とタレコミ情報を頂いていて、この件をことあるごとに考えているのですが、現状の私の考え方は以下の通り:

  • 報酬カウントしないということは、数字を翻訳対象から除外するということ。(パッチワーク翻訳の類と同じ)
  • 即ち、翻訳で重要な原文解釈の段階から数字は除外して原文を読むということ。
  • それで解釈できないならば、翻訳できないのであるから、仕事は受けられないことになる。(原文不備と同じこと)
  • そのような要求をする翻訳会社には、数字を削除した原稿を読んで貰い、理解できるかを確認すると良い。理解できないなら翻訳は出来ないということ。

「翻訳は文字の置換である」という大きな誤解から、このような要求が出るのだと思うのです。実際は違いますよね。例え、文字の置換が発生せずとも翻訳を行っているのです。

「翻訳は文字の置換ではない。また、文字の置換の有無は翻訳のプロセスと関係ない。」

これは翻訳に携わっている人は理解していることだと思います。だからこそ、以前から言及しているとおり、翻訳のプロである翻訳会社が数字をカウントしない等と言うこと自体が恥べきことなのではないか?と思うのです。

(注) ここでいう数字とは文章中にある数字のことです。表内の数値など、翻訳が発生しないものは対象としていません。


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昨年の意外な人気記事

昨年(2015年)一年間のアクセス解析をしてみたら、意外な記事のアクセス数が第2位になっていた。(第1位は「翻訳者の時給っていくら? [アンケート結果]」)

それは、なんと!

チェックシートは品質保証にあらず

だった。

この記事は2014年5月に公開したもので、すでに1年半が経過しているが、昨年の中旬頃からジワジワとアクセス数が増加してきた。ひょっとするとISO17100が関係しているのかも?しれない(笑)

チェックシートには大きな誤解があると感じている。特に企業内では、品質保証の一種の安心材料として取り扱われたり、品質の高さをアピールするための宣伝文句に利用されたりしているが、その運用と位置付けが正しく行われているかは、少々疑問がある。

翻訳者に対して、チェックシートに沿ったチェックの実施と、そのエビデンスとしてチェック印を付けたチェックシートの提出を依頼しているケースを昨今耳にするが、チェック項目ごとにチェックマークをつけるスタイルだとすると、チェックシートの位置付けを間違っている可能性がある。理由は、上記記事を読むと分かっていただけると思う。


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仕事改善の12の視点

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翻訳にともなう周辺作業を改善して、本来の付加価値である翻訳へもっと時間を投入しましょう…という話は以前よりしていることですが、仕事や作業の改善を具体的なイメージに繋げられない方が多いようです。そこで、私が仕事を行っている中で意識している12のポイント(視点)を以下に示します。翻訳という仕事に関わらず、会社勤めの人にも適用できる考え方だと思いますので、少し裾野を広げた書き方にいたします。

1.その仕事をなくせないか?(目的の棚卸)

自分が行っているすべての業務(仕事、作業)について、「なぜ行っているか?」の理由や目的を自分に説明してみてください。もし、目的を考えるのが難しいようならば、「その仕事をなくせないか?」と自分自身に質問してみてください。そうすると言い訳のごとく理由が頭に浮かぶはずです。ただし注意しなくてはならないのは、「エージェントに指示されたから」とか「上司に言われたから」などの「指示」を理由としてはいけません。純粋に、その仕事や作業を何の目的で行っているかを説明してみてください。

明確に説明できましたか?もし、説明できない仕事があれば、それは「改善の余地がある仕事」となります。あなたが「やらなくてもいい仕事」かもしれません。そういった「目的不明な仕事」をリストアップして、それぞれ目的をはっきりとさせるところから改善に繋げます。

2.目的に合った方法か?

目的がはっきりしている仕事に対しても、その目的を実現するために行っている仕事や作業に要するリソース(時間・お金・人など)が見合っているか?という視点で検討します。考え方としては投資リソース対効果を高めることを意識します。具体的な着目点は、この後に示す項目です。

3.情報の転記作業になっていないか?

転記作業ほど馬鹿げた仕事はありません。人間が介在することで付加価値とならず、むしろ仕事の品質を下げてしまいます。(投資する価値なし)

  • なぜ、その情報がそこに必要なのか?
  • どうして、その情報を転記しているのか?
  • どこの情報をどこへ転記しているのか?
  • やめられないか?
  • 機械的に行う方法はないのか?
  • 少なくとも人間の情報認識に頼らない転記方法に移行できないか?

最終目標は、常に「転記作業なし」です。可能な限り、機械的に情報転記が行われることを視点として、仕事やシステムを見直します。

4.タイミングは最適か?

仕事の流れの中で、その仕事や作業をそのタイミングで行うのがベストであるかを考えます。順序を変えることで作業時間を短縮出来たり、間違いを少なくできたりしないかを意識して、仕事を見渡します。

5.誰がやったら最適か?

ひとり完結の翻訳者の場合、関係なさそうに感じると思いますが、これはエージェントやソースクライアントまでを意識して考えるという意味です。「本来、誰がやるべきか」を意識する良い機会になります。(べき論の確立は交渉で必要な理論武装に繋がる)
翻訳会社の中の人は、部署や担当者を意識します。その仕事や作業をより正確に速く行えるのは誰か?どの部署か?という視点で仕事を分析します。

6.もっと速くできないか?

同じ仕事を常に同じ質で「速く」完結させることを考えたとき、何が障害になっているのか?を考えます。速くできない理由を考え、それらに対して改善を図ります。

7.何かと一緒に行えないか?

他の仕事や作業を行うときに、同時に行うと仕事自体をなくせてしまったり、時間を短縮できたりしないかを考えます。例えば、同じ書面を参照しているのに、わざわざ作業ごとにその書類を取り出していたのを、同時作業にすることで取り出しを1回にするといったアプローチが挙げられます。

8.いつも探し回っていませんか?

情報を探すのに「え~っと?」と、毎回、1から探し回っていませんか?仕事に必要な材料を探すのに、脳内で「考える」ようではダメです。すべてをブックマークしたり、インデックス付けしたりして、即情報へ行きつけるように情報管理を改善しましょう。

9.他の人はどうやってる?

井の中の蛙大海を知らずではないですが、ひとりで考えることには限界があります。私が良く使う言葉に「自分の当たり前は他人の宝」というものがあるのですが、これは逆もまた真なりで、他人が行っている当たり前のことが、自分に新たな気付きを生んだり、大きな仕事の改善に繋がったりする。他の翻訳者さんはどうしているんだろう?と興味を持って聞いてみるのは、とても良い結果を生み出します。翻訳会社の中の人であれば、他の職場でのやり方、他社でのやり方なども参考とすべき情報になります。

10.人間の注意力に頼っていませんか?

「注意してやろう」「気をつけるから大丈夫」なんていう根性論的仕事のやり方はダメです。絶対にミスをしますし、そのミスを取り戻すために多大なリソースを無駄に投入する結果になったり、信頼を失う結果になります。「注意力に依存する仕事」を洗い出してみてください。そしてそれらの仕事に対して、1)注意しなくてもできる仕事にできないか?、2)機械的にチェックできないか?、3)機械を使って人間の注意力を高めたり、負担を低減できないか?(WildLightの発想)を考えて、改善しましょう。

会社の中の人に良く見られるのは、システムのまずさを「運用で逃げる」という対処方法です。「運用」とは人間の意識や能力に依存する対処方法で、絶対にミスが出ます。「運用」という言葉に騙されず、誰がやってもミスが出ない方法になるよう改善しましょう。

11.「確認」をなくせませんか?

「確認」を無くすという意識を持つことが大切です。特に、機械やソフトウェアが出力する情報を人間が確認するという作業を定常的にやっていませんか?もし、そうでしたら、その理由を自分へ説明してみてください。例えば、前工程で人間によるデータ入力(転記作業)が行われており、不確実性を含んでいるために(後工程で)確認作業をしているのであれば、その前工程の作業で「完璧」に完了するように作業改善を行えばいいのです。機械がミスするかもしれないからという理由ならば、機械を完璧に仕上げればいいのです。

「確認」という作業は、一度追加すると問題の本質を見えなくしてしまう性質の悪い作業なので、注意が必要です。上流に汚染源があるのに、大きく広がった下流で浄化するには大きなリソース投入が必要になる。「確認」という作業を耳にしたり目にしたら、すぐに「何を確認しているのか?」「確認していることは、どこで作業されているのか?」「なぜ、そこで確実に完了できないのか?」と考える癖をつけましょう。

12.我慢してやってないか?やりづらくないか?

大切なのは「面倒くさい」と感じる気持ちを大切にすることです。やりづらくて煩雑な作業を繰り返して行っているのに痛みを感じないことに危機感を感じてほしい。人間の適応能力のお陰で不感症に陥っていないか、自分の意識の再点検も必要です。「やりづらい」とか「我慢してやってる」と感じられること自体、とても素晴らしい事です。そう感じたら、どう簡素化するかを考えればいいだけです。

みなさんの仕事を見直す一助になれば幸いです。


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MT Live ~機械翻訳の担うべき役割~ を聴講した。

第25回JTF翻訳祭の午後は、トラック2セッション4「MT Live ~機械翻訳の担うべき役割~」を聴講した。このパネルディスカッションは、機械翻訳システムを開発・販売する側として東芝ソリューション株式会社と、以前、東北観光博ホームページの誤訳問題で注目を集めた株式会社クロスランゲージ、そして翻訳の玄人側として、特許翻訳事務所の方や技術翻訳スクールの方、そして遠田和子先生という組み合わせで行われた。モデレーターは大手翻訳会社の社長だった。

このパネルディスカッションの雰囲気は、私にとって終始気持ち悪いものだった。特に翻訳の玄人の視点で、機械翻訳の訳文の質を評価する立場だと思われる翻訳スクールの方が、意外にも機械翻訳へ傾倒した印象だったのは、少し恐いものを感じた。

機械翻訳の質は、本当に正しく評価されているのだろうか?

事前に渡された資料は、特許、IT、一般の3つの分野に分けられており、それらの分野の英文原文が「対象文」欄に、そして、それに対になる形で機械翻訳された訳文が「MT訳」欄に、そして次に「参照訳」欄の順で表になっていた。セッション開始前にその資料のIT分野の表を眺めていたのだが、この「参照訳」って一体何だろう?と疑問に思った。その訳文の質から、多分、機械翻訳したものをポストエディットした訳文で、「ほら、ポストエディットすれば、機械翻訳もそこそこ使えるレベルになるでしょう?」と説明するためのものだろうと想像していた。

しかし、説明が始まって分かったのは、参照訳は登壇された方が翻訳されたものだということで、これにかなり驚く(思わずツイート)。そして、その参照訳に対して機械翻訳の訳文を比較し「これはダメですね」「いい線いってますね」「完璧ですね」と評価して、機械翻訳の翻訳精度を見せようとしていた。そもそもの比較基準が参照訳程度であることは、果たして良いのだろうか?と素直に疑問を感じた

このパートを聴講して考えたのは、例えば一般の人がこの説明を聞いてどう捉えるかである。単純にいえば、翻訳としてどうであるか?という視点を排除し、参照訳と機械翻訳を文字の羅列として比較し、文意が伝わるかという視点で説明されると「なるほど、結構、使えそう」と誤解するのではないだろうか?(実際、聴講していた方が「ITソフトウェアの文章に関しては、・・・(中略)・・・機械翻訳とでは、あまり違いはなかったようです。」と感想を述べられている点からも分かる)。そして人間翻訳と比較して安価なコストを見せられれば、心が揺らぐのも理解できる。そう考えると、機械翻訳を導入する側の罪より、売る側の罪の方が遥かに大きいのではないかと思った。以前の東北博問題の時にも同様に考えたが、少なくとも翻訳事業を内部に持ち、翻訳のプロである某社には、この質問を会場でぶつけてみたかった。

ちなみに、参照訳の質に対する私の判断がおかしいのかと思い、セッション終了後に周りにいた翻訳者さん複数名に確認したが、異口同音に私と同じ感想を口にしていた。

機械翻訳の正しい使い方は?

開発・販売側より「大量の英文の中から自分の読みたいパートを探すために、まずは機械翻訳で日本語にし、日本語で読みたい部分の当たりを付けて、原文英文を読むという使い方に使える」というような発言があった。こういう大量なものを短時間で何となく意味の伝わるものへ変換するのは、機械翻訳の得意技だし、正しい使い方だと思った。何よりも機械翻訳の出力が、第三者の読者へ最終成果物として提供されない使い方で、とても正しいと思った。

ただ、残念ながら、このパートの議論は余り深耕されることなく、この程度で終わった。一体、あの市町村役場のホームページなどで多言語化目的に大量に導入されている機械翻訳システムについて、どう考えているのか?また、このセッションメンバーはどう考えるのか?

村岡花子の故郷・甲府市の公式ホームページに関するブログ」というブログがある。このブログは、甲府市が導入した機械翻訳システムの吐き出す珍訳を紹介し、機械翻訳の使い方について問題提起している。「機械翻訳なので正確ではない」という免責コメントがあるにせよ、ブログ記事を読む限り、情報正確性を放棄してまで導入する価値が果たしてあるのか些か疑問である。(参考:機械翻訳システムの無責任使用)

MTを使いこなす翻訳者!?

技術翻訳スクールの方から「これからの翻訳者はMTをどう使いこなすかで差が出る」という趣旨の発言があった。これを聞いて私は愕然とした。翻訳学校の方が、こんな発言をするとは想像さえしなかったからだ。

これから翻訳者を志す方達は「翻訳者」という言葉の定義を自分なりにしっかり持つように心掛けないとならないと思う。「翻訳者」、「ポストエディター」、「MTオペレーター」とでも、業界で明確に切り分けがなされるまで、あれもこれも「翻訳者」と一括りで話がされるのだろう。自分が志す「翻訳」とは何かをしっかり定義付けて、業界で発信される情報を見極める目が必要になると思った。

私個人的には、MTを自分の翻訳プロセスの一部に使う発想は全く持てない。機械翻訳の出力を目にすること自体が毒だと思うからだ。翻訳者になるには、可能な限り「綺麗なものだけを観る」方が良いと私は思っている。

翻訳テクノロジーの発展は単価をさらに押し下げる

これからの翻訳テクノロジーの発展を議論される中で、モデレーターの「この先、翻訳テクノロジーが益々発展したら、新しいツールが出てきて、そして単価が下がり…」という言葉に複雑なものを感じた(二回も言及されたことに、モデレーターのある種の誘導を感じずにはいられない)。TRADOSなどの翻訳支援ツールの登場により、翻訳単価が下落したケースを引用しての発言だったが、この部分だけを考えると「この類の質」を提供している翻訳者は仕事を失うことになる(MTオペレーターとして生きるのかもしれない)。「翻訳」を仕事にしたいのなら、そんなセグメントからは早く撤退した方がいいだろう。

最後に

MTの研究開発はどんどん進めて欲しいと思う。今のMTの問題は、最終読者の期待値をどこに置くかという点を含め、何に使えるのかの研究が疎かになってることではないかと思う。ホームページへの使用を含め、正しい使用に是正されることを期待したい。