翻訳横丁の裏路地

We can do anything we want to do if we stick to it long enough.


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第21回JTF翻訳祭のプログラムが公開

2011年11月29日(火)にアルカディア市ヶ谷で開催される第21回JTF翻訳祭のプログラムがついに公開されました。申し込みも始まったようです。

私は日本翻訳連盟(JTF)の会員ではありませんが、今年も勿論参加する予定です。

余りにも興味深いセッションが多く、一人では全てを見切れないと思われるので、同僚と手分けをして聴講しようかと思っています。

トラック1
トラック1
トラック6 か トラック3
トラック1 か トラック4

という順番で、このあたりのトラックを狙って聴講しようかと考えています。

こういう外的刺激を得られる機会はなかなか少ないですので、有効に使いたいですよね。時間に都合がつくのであれば、参加されるのが良いと思います。

有意義な一日になりそうな予感です。

現地で皆さんにお会いできるのも楽しみです。


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コピペで辞書ひくな

先日、ある方がWebで英文を読んでいて調べたい単語が出てきたようで、PC上の辞書を立ち上げて調べ始めた。

そばでたまたま見ていた私は、彼の動作をボンヤリと見ていたのだが、ブラウザ上の単語をコピーして、辞書の検索窓にペースト、そして検索。

これが普通だよね。当り前と言うか、効率的な方法だと思う。でも、英語学習者がこんな事をしてたら、私は多分烈火の如く怒ると思う。

私のやり方は、調べたい単語は必ず辞書の検索窓に自らタイプして調べる。少なくとも、こう言うやり方をする事でスペルを頭に記憶し再生すると言う作業が必要になるからだ。

同じPC上での作業だと、ついつい楽な方に走りがち。ならば、別に電子辞書を準備して、それを利用すると有無を言わさずスペルを入力するしかない。

知らない単語との出会いを大切に。

いつもそんな風に周りに話している。その出会いを最上級の価値に高めるにはどうしたらいいか?を考えて、やり方を工夫すると、語学学習を効率化できるかもしれない。

大切なのは目的を間違えない事。

「意味を調べる」と言う事を目的にした場合、コピペで辞書をひく事が最善策となる。でも、それでは意味は分かっても身につかない。

語学学習者ならば、目的を「言葉を身につける」と言う高いところに常に置いて、方法を考えるべきだと思う。

辞書をひくたびにスペルアウトする癖をつけるだけでも、その単語を書いて覚えるのと同じ効果が得られ、より記憶に留まり易くなる。

コピペで辞書ひくな

なのである。

〜〜〜〜〜
流石に翻訳してる時は時間に余裕がない限りやらない。目的が違うところにあるからね。


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USTREAM放送をやろうと思う。

先日の I-JET プレイベント(in 大阪)の関根マイク氏の講演を聴講した後、色々と考えを巡らしていた。

そもそも私は会社に属する人間である事、それに会社が外販を積極的に展開していない事を鑑みると、仕事を得る事を目的としたセルフブランディングに必要性を感じていなかった。

ただ、昨日の「環境」をテーマにした記事をアップした後、この考え方が会社に依存する事を大前提とした、とても怠惰で保守的で自滅的な発想だと気付かされた。

近視眼的仕事への繋がりをそもそも関根氏は言ってない。長期的な自己実現のスタンスに立てば、メディア上に存在する自分をブランディングする事の意味は計り知れない。また、昨日書いた自らの将来に向けた「環境」作りに繋がる。

そこで、少々短絡的だが「何か」を少しづつ始めたい。

講演の中で「これからはビデオだ」と言う話がされた。そこには微塵の疑いもなく同感なので、そこに手を付けてみたい。

つまり、USTREAM放送を使った情報発信をやってみようかと思う。

実は、当ブログのアクセスログを眺めていると、私のブログに辿り着いてくる検索キーワードでダントツに多いのが、「社内翻訳」である。(次点が会議通訳)

よって、社内翻訳ネタでブログ記事を展開してみようかと考えていたところだったのだが、この際、一気にUSTREAM放送に持ち上げてみようかと思う。

果たしてどれほど興味を持って頂けるものか、お役に立てるものかは分からないが、やってみたい。


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自ら環境を作ろう

http://www.ustream.tv/recorded/13114741

今朝、リビングに降りてきて何気なくテレビを点け、そしてコーヒーを入れて朝食代わりのビスケットをぱくつきながらHDDに保存したビデオクリップを再生した。

久しぶりに、MK翻訳事務所さんが USTREAM で配信された放送番組を見直しながら、つくづく「環境」の大切さを感じた。

自分が身を置く環境。自然な流れから出来た環境であったり、自分が飛び込んで行った環境であったり、さまざまな理由による環境に身を置いているのだろう。

その環境で、要求される能力や知識と、自らの持つ能力や知識とのギャップを埋めるべく悩み、苦しみ、もがいで勉強して…なんとか適応しようと努力する。人によってはそのギャップに恐れをなしてその環境から逃げ出そうとしたり、逆に学習のチャンスと考えて積極的に取り組んだり、対応の仕方はさまざまで、それによって同じ道を歩んでも自身に生まれる結果が大きく違ってくるのだろう。しかし、結果に差があるにせよ、その環境を駆け抜けていくと何かしら自己成長し、自分の「次」へ必ず繋がってくるのだと思う。

ただ、「環境」は、今いる環境が外的要因で変化しない限り、殆ど大きな変化を見せず、そこに安住すると自身が環境に適応してしまい、自己成長を必要としなくなってしまう。そうなっては死んだも同然。

自らの持つ知識や経験を超えて新たな自分を見つける事は至難の業。「環境」になれたら、それを変化させたり、捨て去る努力をして、常に何物か今の自分より高みにあるものを取り入れて、自分の居心地が悪い「環境」を意識的に作る必要があると思う。

居心地悪い環境…という言い方は、決してやる気になれない苦しい環境と言う意味ではなく、「今の自分では不十分」「もっと自分を」という欲求が生まれる環境という意味。

そういう環境を自ら意識的に作る事が大切だと思う。

どうやって?…一番単純な方法は、私が過去に何度かやってきた方法で、自分を苦境に陥れるという方法(笑)。つまり、環境を自分で変えてしまう。私の場合、仕事をがらりと変えた。自分のやりたい事に近い仕事を取りに行った。自分を潰しそうになるほど強烈なものもあったが、それらの全てが今の自分のファンデーションになっている。

こんな強烈な方法でなくても、もっと簡単な方法がある。それは人の力を借りる。

Twitter でも SNS でも何でも良いが、高みにある人々の刺激を受ける事。そしてその刺激に反応して自ら行動に移す事だと思う。何だっていいと思う。オフ会があるなら、それに出向いて人脈を広げ、見聞を広め、知識を広げる。色んなセミナーに参加して自分にない知識や考え方を取り入れる。とにかく自分の中にないものを貪るように見聞する。取り入れてみる。そしてそれに基づいて行動してみる。

そうすれば、自らの環境を自ら変えていく事に繋がる。そして変わった環境と自分とのギャップを埋める作業に一生懸命取り組むと、未来の自分に繋がっていく。

将来にあるもの。それは何も知識や経験だけではなく、新たな仕事や新たな自分も含まれる。何がきっかけで今は知り得ない自分が顔を出すかもしれない。思いもしない仕事を将来しているかもしれない。

自分のある環境を否定することなく積極的に取り入れて適応して、そして常にそれを変化させる努力をする。それが多分「生きる」事で「生きる」意味なんではないかなぁと最近おぼろげながら考えています。